イラストレーター群青亜鉛が発信する、104歳おばあちゃん介護のイラストエッセイ。介護の工夫と次の一歩。

当事者会での関係性〜当事者(介護している本人)が中心の運営は

10月 03 2018 | 介護者会・家族会

いらっしゃいませ。本日の文字数1450文字。長いです。読もうと思われる奇特な方、以下、どうぞ〜。

運営側が誰かによって会の性質は異なる

私が関わっておりますのは、高齢の介護を必要とされている方を介護しているご家族が集まっている会 であります。
一概に介護している人の家族会といっても、中心となる人が専門職の方々が中心の場合と、当事者が中心の場合では、性質はまったく異なるのであります。ので、全部をいっしょくたにしては語ることは出来ましぇん。

考えたときに思い浮かぶのが「対等」さ。当事者が中心となって運営する会は、会員皆さんとの関係は対当なのであります。上下はないです。

運営に力を出す世話人と、参加者は対等な関係

介護をしている家族は、別に、特別なものではない。介護に関わるのが日常。大変な様々に出会うこともあるのだが、極端な表現をするとそれは哀れまれる存在でもないはず。そして、強いて言えば、助けられるべき存在でもない気がしている。専門職の方々には、自分たちで解決していくのをちょっと離れて見守っていて欲しい、溺れてヘルプ!と助けを呼んだらちょっと助けてもらえるとありがたい。

一人だけで背負って介護をしている方の場合だと、目の前の介護を必要とする人しか見えない。自分一人あるいは他の人がどう介護をしているのかをまったく知らない場合はどうしたらいいのか選びようがない。考えつく選択肢が全くないと行き詰まるのだ。そこの工夫を現在進行形介護中の方々から直接聞くと、自分の中の介護の思い描ける範囲が増え、どうしていったらいいかのイメージが広がり 選ぶことが出来るようになったりする。介護中の方から聞く工夫は専門職の方から聞くよりも、説得力があり、腑に落ちたりするのである。

たまに、助けたがりの方がいらっしゃいます

大昔に、当事者会に ボランティアをして人助けをして人を支えるのが大好き、と思える方がいらっしゃった。 結果的に、当事者会ってなんだろう?と考えを深めることにつながった出来事を以下に。

初参加のその方は、ご自身の行いでこれだけ人に感謝をされました、という経験談を延々と語られ、私の助けが欲しい方は是非〜と自己アピールをされた(ような覚えがある)。

その時の私たち出席者が持つ違和感は相当なもの。なぜここに来られたのかが理解出来ないとわたしは感じた。自分たちの足で立って、自分たちで考え、自分の力で前に進んでいこうとしている 自分の中に既にある力のようなものを理解されていないようでありました。(自分だけではなく、人のお力も借りつつであります)

毎回自分が何を期待してきているのかが分かる。

自己満足の対象に、私たちが使われる?

いやそないに、全力で助けます〜と来られても困るのだ。あなたの自己満足に、私らを使わんでくれ。ボランティアで全力で入られて、あなたがいなくなったときに、その助けてもらった人が何も考えられなくなったり、何も出来なくなったらまた困るのだ。緊急な場合はまた別だが。どう責任取ってくれるんだい、てなもんである。 

わたしらは 最終的には 会の中でいろんな交流を通して、自分で話す、人の話を聞く事により、気付き、自分で考えて、自分で行動し またどうしたらいいかを考える様になり、人の力も借りていいんだなあと思えたりするような気がする。自然と、自分の足で立てるようになっていて、それは尊いものである。 自分一人で全部やるのは無理なのだと気付くのもそうだし、しんどい自分を「しんどいよねぇ」と認められたり、必要だと感じると人に助けてーと言えるようになったり。(それがなかなか言えなかったりもするのですが)。

そうそうたくましく生き抜くためのお知恵を、ここから頂いているような気がするのである。

あら、ちょっとタイトルからえらくはずれた気がするわ〜。
専門職が中心の場合はどんななんだのお話は、またいずれ〜。


介護は幅広い知識があったほうが楽です。在宅介護のご家族は、介護職や看護師さん、セラピストの方にもどんどん質問して知識を還元してもらって下さいませ。このブログ記事もとっかかりにして頂けたらと願います。

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