イラストレーター群青亜鉛が発信する、104歳おばあちゃん介護のイラストエッセイ。介護の工夫と次の一歩。

人間力、人としての魅力のあるなしで変わってくる

7月 18 2018 | 地域福祉

ヤンキー座りでよっこいしょ

〜〜〜つらつらです。自分の備忘録みたいに書いているので、脈絡がないところも多いですが。本日は介護者の集い〜当事者の会に関してです〜〜〜

「今月の定例会、いい感じでしたね」

と社協の事務局担当の人と声をかけあうようになって何年になるのかなあ。

私が世話人さんをしているのは、介護者の集いである。高齢の方を介護している家族の集まりだ。
介護者の当事者が中心となった会で、あくまでも協力は社会福祉協議会(社協)。この社協(あるいは保健所等)が協力をしている形態の会は全国的に多いと思われます。セルフヘルプグループの一つでもあります。社協が協力しているという点で 当事者だけで成り立っている会と比べて、独自性は劣るのだそうです。

世話人さんと、社協での、仕事の分担はいつも気になるところでありますが、話し合いをしながら調整をしながら続いています。
会が創設されて17年ぐらいの間には、私が覚えているだけで6名ぐらいの職員さんが交替している。

一番開設当初の担当の人は7〜8年担当されていたか。その方とも気持ちのシェアをよくしていた覚えがある。今日は充実した会でしたね、とかちょっとした一言だけなのだけれど、今でも、定例会ではこれをしないと帰れない気がする。

しかしながら、世話人さん同士でこれが出来るか?というと、なかなか難しいことが長かった。

定例会が終わってからの少しの間の今日は良かったですね、とか、今日のはもっとここをよくしたら良かったですね、
等、私としては世話人さんと話したいよな、と思うのだが、何にせよ、デイサービスやショートステイから家族が帰ってくる等で迎えの準備もあるため、早く帰らないと行けないことも多く、即解散、でばばばーっと散ってしまう。

ここ最近は、その様相がだんだん変わってきた。介護の卒業者が増えたこともあるためか、会が終わった後に、集まって喫茶でお茶をしたりすることが増えた。わたしのなかではそれは結構理想の夢でもあったので、いつのまにか現実に実現していて嬉しかったこの春である。

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何ヶ月かに一度、今日はいい定例会やったなあ〜と思える日がある。(会員参加の定例会は月一開催です)

自己満足であるのかもしれないが、

お互い(世話人さん同士)がうまくフォローが出来た、とか、連携がうまくいったときのように思う。

毎回、出席者の中からは、どんな話が出てくるのかわからない。
進行を担当する人によっても変わってくるし、長い会員歴の方ばかりのときでもまた違う。新しい方が参加された場合でも異なる。

いい会だったなあ、と思える時はどんなかと振り返ると。
話したい方の場合はたくさん話されて、昔からの人も気持ちよく出席出来て(介護を卒業されてもいらっしゃったり)、話したくない方は無理に話さなくてもよく、新しい方が来られた場合は、その方を中心に話しを進めながら、アドバイスが欲しいとおっしゃる場合は意見交換もあり。タイムキープもしながら、(延長になることもあるが、アナウンスはうまくいれもって)それが全体的にバランスよく出来たときは参加された方々の表情も違うし、自分もおっシャーーーーーーーーっ、とOKサインが出る。
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介護まっただなかの当事者ではあるものの、会の良さは、そこにいる人にかかってくることを感じる。人間力にかかってくると言うのかな。

集っている人に人間的に魅力があれば、人は集まってくる気がする。

会いたいと思う人が居なければ、出席したってつまらないし、得られるものがない場合も離れていくだろうなあと思うのだ。

得られるものが介護の情報である場合もあるだろうし、話すことでのすっきり感を思う方もおられるだろう、これは大きい。体験談を参考にしたい方もおられるだろう。

介護保険スタートしてから出来た、発会当初に比べると、はるかに会員数は減っている。人が減っている減っていると、危機感がつのる。介護の相談窓口が増えたこと(地域包括運営センターしかり)
いろいろ原因はあるだろうが、地域の各地に集う場が増えたこと、ネットで相談したり、検索することにより選択肢が増えたこと、いろいろと原因はあるだろう。

外に原因を探すより、自分たちの言動、立ち振る舞いを静かに振り返るのが一番いいのではないかと私は思っている。

平日の昼の定例会である。この開催時間にも原因はあるかも知れない。

平日の昼に誰が出席出来るのだ?と思われるだろうか。そうだヨナあ、自分の知っている人は誘えないなあ、とわたしは思う。働いている人ならば、やはり土日の午後か、夜? 確かにそうなのだけれども、考えてみて欲しい。それをだれが主催するの?ということを。

開催側の中心が介護をしている当事者なので、その当事者が動きやすい時間に、会は開催されるのである。

土日の午後か夜?平日の夜に、なんでないの?と思われる方も多いだろう。単純だ、その時間に動ける人が居ないからではないか。

もしくは、そこまでしてやろうという意思のある人が居ないから、時間を作れる作ろうとする人がいないから。あるいは、継続出来るとは思えないからしない。そこには経費をかけられないからしない、出来ないというのもあるのかも知れない。
消耗するだけならば、誰もやらない。使命感がある人が先陣切って? 使命感はよほどでないと続かない。一発花火では力を持たない。一人だけではすぐ倒れる。身を削っては、消耗するだけだ。 皆、自分自身の呼吸を見ながら、細く長く、倒れないように、出来る範囲のことをしてはいると私は感じている。

昨年は、認知症介護者の会が、土曜日の午後の開催を行った。

その一回、イレギュラーの開催に、話し合いを重ねに重ねての実現である。告知ももちろん考えてである。イレギュラーの開催はそれだけ労力を要する。結果はもちろん、次開催するかどうかの資料となる。

日中勤める方にとって、夜の介護者の家族の会の開催はやってほしいと思っている人は多いと思う。煮詰まっている人は多いと思うのだ。介護のことを職場でおおっぴらに話が出来るかといえば、まだまだ難しいだろう。ちょっとでも話して何かの糸口をつかみたい、そんな方の話せる場。

希望は声をあげなければ実現はしない。

声をどこかに届けて見て欲しい。 ”ほんとうになんで夜にしてくれないのだ、私は仕事をしているから出られないじゃないか” と怒りが湧いてきたりするのであれば、あるいは、あなたが中心となって開催するかだ。

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わたしは今ある介護者家族会になんで関わってるのかなあと考えてみると、好きだからやっている、、、、とはとてもじゃないが言えない。 最初は言えたかも知れないが、続けていると変わってきた。 楽しいから参加か? そういうわけでもない。

結構、身もフタもない表現を全力で投げ掛けられることもあったりしたので、「あなたは言うだけ言って、すっきり忘れるからいいかも知れないが、あたしゃ何回たたいても大丈夫なサンドバックではないぞ、パンチはめり込むのじゃ。身はえぐれるのじゃ。」と思うこともかなり多い。 ”介護でしんどいのね、だから、そのしんどさを私たちは受け止めてあげなくっちゃ” なんて思うほどわたしの心は広くない。 

なんで世話人だからとて、痛めつけられながら無条件で受け止める必要があるだろう? こちらとて一般人だ。聖人君子でもない。カウンセラーでもない。うまく流す方法は知らんかったわよ。人としての礼儀と礼節は必要だ。それを持っている人となら、信頼関係は築けるが、それがない人とは勘弁である。介護をしているからといって、偉い訳ではない。何を言っても許されるのかといえばそうではなかろう。 と、思うことも多いのである。

そんなこともありながら、なんで関わっているのかなあと再度問えば、
関わる人から学ぶところが多いから、どうにか続けていられているのだとは思う。

一番の大きな理由は、”次の世代に引き継ぐために続けている”  少々大層な表現かもしれないがそんな気がしている。 そのためにまとめたり言葉にしたり。自分の頭の中を整理したり。何というのかなあ、ぶれないように、ちょっとづつ、真ん中を作るというのかなあ。
そのため、いろんな方が集っていただけるのが、ありがたい、いろんな考えを交わせるのが、ありがたい。そんなところです。

しかしながら、こういう当事者会の中心でがんばっている方々は、公の機関のヘルプがあろうがなかろうが、いつバーンアウトしてもおかしくないだろうなあ〜と実感として思うのです。あらら。


介護は幅広い知識があったほうが楽です。在宅介護のご家族は、介護職や看護師さん、セラピストの方にもどんどん質問して知識を還元してもらって下さいませ。このブログ記事もとっかかりにして頂けたらと願います。

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