イラストレーター群青亜鉛が発信する、104歳おばあちゃん介護のイラストエッセイ。介護の工夫と次の一歩。

当事者会での関係性〜当事者(介護している本人)が中心の運営は

10月 03 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

いらっしゃいませ。本日の文字数1450文字。長いです。読もうと思われる奇特な方、以下、どうぞ〜。

運営側が誰かによって会の性質は異なる

私が関わっておりますのは、高齢の介護を必要とされている方を介護しているご家族が集まっている会 であります。
一概に介護している人の家族会といっても、中心となる人が専門職の方々が中心の場合と、当事者が中心の場合では、性質はまったく異なるのであります。ので、全部をいっしょくたにしては語ることは出来ましぇん。

考えたときに思い浮かぶのが「対等」さ。当事者が中心となって運営する会は、会員皆さんとの関係は対当なのであります。上下はないです。

運営に力を出す世話人と、参加者は対等な関係

介護をしている家族は、別に、特別なものではない。介護に関わるのが日常。大変な様々に出会うこともあるのだが、極端な表現をするとそれは哀れまれる存在でもないはず。そして、強いて言えば、助けられるべき存在でもない気がしている。専門職の方々には、自分たちで解決していくのをちょっと離れて見守っていて欲しい、溺れてヘルプ!と助けを呼んだらちょっと助けてもらえるとありがたい。

一人だけで背負って介護をしている方の場合だと、目の前の介護を必要とする人しか見えない。自分一人あるいは他の人がどう介護をしているのかをまったく知らない場合はどうしたらいいのか選びようがない。考えつく選択肢が全くないと行き詰まるのだ。そこの工夫を現在進行形介護中の方々から直接聞くと、自分の中の介護の思い描ける範囲が増え、どうしていったらいいかのイメージが広がり 選ぶことが出来るようになったりする。介護中の方から聞く工夫は専門職の方から聞くよりも、説得力があり、腑に落ちたりするのである。

たまに、助けたがりの方がいらっしゃいます

大昔に、当事者会に ボランティアをして人助けをして人を支えるのが大好き、と思える方がいらっしゃった。 結果的に、当事者会ってなんだろう?と考えを深めることにつながった出来事を以下に。

初参加のその方は、ご自身の行いでこれだけ人に感謝をされました、という経験談を延々と語られ、私の助けが欲しい方は是非〜と自己アピールをされた(ような覚えがある)。

その時の私たち出席者が持つ違和感は相当なもの。なぜここに来られたのかが理解出来ないとわたしは感じた。自分たちの足で立って、自分たちで考え、自分の力で前に進んでいこうとしている 自分の中に既にある力のようなものを理解されていないようでありました。(自分だけではなく、人のお力も借りつつであります)

毎回自分が何を期待してきているのかが分かる。

自己満足の対象に、私たちが使われる?

いやそないに、全力で助けます〜と来られても困るのだ。あなたの自己満足に、私らを使わんでくれ。ボランティアで全力で入られて、あなたがいなくなったときに、その助けてもらった人が何も考えられなくなったり、何も出来なくなったらまた困るのだ。緊急な場合はまた別だが。どう責任取ってくれるんだい、てなもんである。 

わたしらは 最終的には 会の中でいろんな交流を通して、自分で話す、人の話を聞く事により、気付き、自分で考えて、自分で行動し またどうしたらいいかを考える様になり、人の力も借りていいんだなあと思えたりするような気がする。自然と、自分の足で立てるようになっていて、それは尊いものである。 自分一人で全部やるのは無理なのだと気付くのもそうだし、しんどい自分を「しんどいよねぇ」と認められたり、必要だと感じると人に助けてーと言えるようになったり。(それがなかなか言えなかったりもするのですが)。

そうそうたくましく生き抜くためのお知恵を、ここから頂いているような気がするのである。

あら、ちょっとタイトルからえらくはずれた気がするわ〜。
専門職が中心の場合はどんななんだのお話は、またいずれ〜。


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他人事ではない自分ごととしての災害対応。避難グッズ話、認知症介護者会

10月 02 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

そんなこんなのあれこれがありつつ、先日は、会員である認知症介護者会に出席。
2つの介護の家族会(当事者の会)に関わっているので、どうにかバランスを保てているのかなとも思う。片方は世話人として。もう片方は、一般会員として、である。

先日の定例会でのイスの配置はアイランド形式でありました。島型と呼ばれ、部屋の中に島をいくつか作る形式です。

ロの字にテーブルを並べるのが通常ですが、ロの字型では、人数が多くなると人との人の距離が離れすぎで、
家族会の場合はどうかなと思うことがあるのです。今回は、よくある3人が並んで座れる会議用テーブルを、向かい合わせに4コ並べる×2ヶ所 のアイランド形式でした。この日は特にテーマはなく、それぞれが思うことを話し情報交換する日でした。

どこに座るかは結構大事だと感じています。初めて来られた方のお隣には、世話人さんが配慮され、お話を親身になって聞ける方にさりげなく座ってもらうことが多い様子。当事者会ではどの会にも適任者がおられる様に感じます。今回はその適任だわ〜と思う方は離れて座られ、私が隣に座らせて頂くこととなりました。話すうちに、その男性は初めてではなく、間をあけながも何度かいらして下さっている方だということが分かりました。

お声掛けするのは、私は得意ではない。言葉ひとつひとつ選びながらで慎重になりすぎるのだ。逆に回りくどい表現となり、相手に届かないこともたびたびだ。気を使いすぎの対応は、相手にこの人は何が言いたいのだ?と少々疑問や不信感を抱かせてしまうこともよくある気がしている。 

ですが、当事者会ではマンツーマンで話すわけではなく、参加者お一人お一人が体験談も交えながらのお話となります。介護で悩む様々も、その方は気持ちよく話すことが出来た様子。そしてみなさんのお話からいいところもうまく取り入れられた様子。散会後にお訊ねすると「いやあ来て良かったです。いいお話が聞けました。」晴れやかな表情をされていた。このとき言葉だけを受け止めると違うこともあり、帰られるときの表情や様子は丁寧に見守ることが多い〜。出来ないことも多々ありますが。

今回は、そのいつもの適任の方が離れて座られたこともあり、普段は受け身で関わることが多かった私なのだが、まだよくは存じ上げない介護中の方の側に座る事で、学ばせていただくことが多かった。

台風21号の停電で困ったこととしては、、、
在宅介護中の方は、電動ベッドの昇降も背もたれの角度替えも出来なかった。が上げられた。
昔よく見られた病院の手動式ベッド、レバーをくるくる回して昇降、角度替えする型だ。電動と手動、両方の機能があるものがいいと。

加えて私は来たる台風24号に備えて、当日の午前中、ホームセンターで避難グッズの補給の購入をかなりしたため、大型レジ袋に満タンの避難グッズ×3袋をそのまま持参していた。 せっかくなのでテーブルの上に広げて、皆さんに紹介とともに台風時のことも語らせていただき、ああすっきり〜。

避難グッズは、ネットやテレビ画像等で見るだけではイメージがしにくい。実物を手に取って見てもらうと分かりやすいのですな。 テーブルで回していくと、へー、ほう〜、はあ〜と触りながら説明読みながら、実生活とそのグッズを皆さんが照らし合わせることが出来る利点があると感じました。

最初は自分のテーブルでのみでしたが、皆にみせてほしいとの要望で、なんやかんやと全員にグッズを見てもらうこととなり話しっぱなしとなり。

昨日記したような自治会での疑問も、ケアマネさんとの会話には入れ込みながら(包括支援センターは、お困りごとの窓口なので、頭の片隅にでもあれば何がお役に立つかもと) 他人事ではない自分ごととしての災害対応を〜と力説。大きな声も出せたので、ほどよい疲れ加減になり、心が落ち着くことが出来ました。

はあ、やはり、声が出せる場、は大事ですねえ〜。皆さんもうまい具合に発散(?)出来る相性のいい場を見つけて表現してみてくださいまし〜。

(※ちかごろは、書くことが沢山あり 書くほうに重点を置いていて、イラストをくっつけられていません〜)


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避難するのも罪悪感。どこから情報得たらいいのよ、の困惑とか

10月 01 2018 | 地域福祉 | コメントはこちらから |

台風24号で被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。一日も早く、なんでもない穏やかな日常をおくることが出来ますよう、心より祈るばかりです。

9月に発生した台風21号では、怖い思いをしました。本日はそのときの心模様を少し。加えて、その台風情報が得られるかと思って出席した地域の自治会での「?」はてな な思いも。イラストなく、つれづれと3800文字!長いので、それでも読もうと思われた方のみお付き合いくださいませ。

介護中の方というよりも、介護が終わっての方必見?の、避難に関する内容です。周囲への気付きや 近隣とのつながりや 手助けに関しての内容も多く含んでいます。


振り返ってみました。

避難するのも罪悪感が

台風21号の進路のまっただ中にあり、台風が通り過ぎるのをただただ待つだけの時、住んでいる地域に、「避難勧告」が出た。暴風と共に雨も強くなり、停電になった。自宅アトリエパソコン前で仕事をしていたが、昼だが雨戸を閉め切っていたこともあり真っ暗だ。オットは仕事でおらず、一人である。心配した姉が車を走らせてくれ、それに乗り安全な場所へ避難をした。

その途中、豪雨の中、町内のおねえさまに出会い、「群青さ〜ん避難場所に行くの〜?」と問われ、「いえ家族のところに行きます〜!」「気をつけてねー」とやり取りしたものの、まずは自分の身を守ることが先決の自分自身に罪の意識を感じ、避難することがいけないことをするかのように感じた。

これは初めて感じる思いだった。避難途中では、唖然とたたずみどうしようとオロオロする人を多数目撃し、”大変な様子をぼーっと眺めとらんと、あんたらとっとと逃げなはれ〜!” とは わたしが感じたことである。その人々の様子は、東日本大震災時のテレビの映像と重なった。

結局は何事も、、、なかったから良かった様なものなのだが、もし何かがあっていたら、、、思いを引きずっていたかもと思うとちょと心しんどい。


日常を戻すのに誰も一生懸命

台風がおさまってから、安全を確認しながら自宅に戻る。停電で真っ暗闇でもあり、台風で自分の住む町内がどんな様子だったかはさっぱり分からん。次の日の朝、近所を歩き回ってはみたが 壊れたもの等わかりやすい情報しか目に入ってこなかった。あとはネットでの情報集め。思ったほど、当事の画像は公開されてはいなかった。約二日間、広範囲に渡った停電で作業は何も出来ずだったので、電気が復旧すると、仕事の遅れを取り戻すのに必死のパッチな日々を送るのでありました。


情報得たい!自治会に出席するも

それから約2週間の時間が経ち。月1回の町の自治会に出席した。出席しなくてもいい立場ではあったのだが、その台風21号時の、全体像あるいは地域でどうだったのかが知りたくて出ねばと思ったのだ。

期待して出席した町内会、会長さんの開口1番が、

「もう、台風の話はみなさんようさん話されていると思いますので、その話は今日はなしで行きます。」

”っ??? 何〜それ〜???”

”え?わたしはそれが知りたくて参加したのだけど、それ、なし????どゆこと?”

してない、してない、この町内での台風の話、わたしらちっともしてないし出来てないし。自分の住んでる界隈での災害の話を、住民全員が情報共有してると思ったら大きな間違いですよ〜?! 

みんなで立ち話程度でも話をしてるだろうから?もう話し飽きただろうから???って何?

そう思ってしまうのは、情報がご自身の周辺に自然に集まり、状況を把握していたからであって、大きな勘違いとんでもない!へんてこりんな表現が許されるならば、ある意味ご注意、特権階級?的意識なのかもしれませんのよーーーーーっっ。

自分の住んでるエリアは結構台風被害が大きかったと思うので、界隈ではどんなことがあったのか、ちょっと俯瞰の視点での話が聞きたかったのです。今後世帯それぞれがどう対策したらいいとか、町内会では何か一つ 台風関連情報があってもいいんやないのと思ったのですが、、、、、ありませんでしたのですなあ。


ご近所の方々は、常日頃顔を合わせているのか?

否。生活の時間帯がバラバラということもありますし、台風の後は、ご近所もご自宅の片づけやいつものペースを戻すのに一生懸命。そんなにお会いすることもなく、台風時の話をする機会がありませんでした。そのせいなのかもしれませんが、その月の町内自治会は、わたしが知っている中でも、一番参加人数の少ない会合でした。大勢の方が参加されるかと思ったのですが、その少なさに驚きました。

住宅街には大きな被害が及ばなかったからかしらん?誰も、怪我、あるいは大事に至ることがなかったからでしょうか?

自分は夫婦だけの世帯ということもあるからか、住むところの情報は、必死?で得ないと得られないことを痛感〜っ。

かかわるコミュニティの数、や質で、情報の量は全く違うことを考えさせられました。


自分のコミュニティーを振りかえってみよう

結局、台風に関して直接話が出来たのは。(ご近所ですよ)

台風当日に話せたのは、ご近所の叔父様一人。(〜台風過ぎ去り、真っ暗闇のなかでの会話。〜)

二人目は、次の日の朝、後片づけとご自宅周りの掃除をしておられたご近所のおじ様。

三人目は同日、町内会の集金に来られた班長さん女子。

たったの3人だけでした。
+ 自治会当日、お隣に座った女性。

合計4人。それでもよかったと思うべきか。あとはもう時間が過ぎ過ぎてなかなか。
朝、ゴミ出しで出会っても、皆慌ただしく立ち話とはいかない。

おそらく子どもさんを持つご両親のコミュニティでは密に情報交換があるだろう、
仕事場でのコミュニティもあるだろう、
3世帯同居などされている方は、間接的にその情報を得ることが出来、
なんら困ることはないかも知れない。
あるいは趣味のコミュニティー然り。
いろいろなコミュニティーから皆さんは情報を得ていると思われる。

それを見聞きしているから、住民みんな大丈夫だろうと思ってしまいがちではないか。でもそれは大きい範囲の情報で、ご近所情報ではないかも知れない。こぼれ落ちるのは、高齢者ではない一人暮らし世帯。 高齢者ではない夫婦の世帯?

高齢者世帯や 介護中の世帯、あるいは子育て世代には どうにか目が行くかも知れませんが、
コミュニティーをたくさんもっていない人はどこから情報を得たらいいのでしょう。

危ういなあと思います。本当に自分が今出来ることを少しづつやっていかないとと思います。


どうにか得られた災害情報

今回、中学校区ぐらいの大きな集まりで問題になったことは、(何の集まりかおぼえておらずですが)
実際に避難して来られた方がここでは受け入れられませんと拒否されたり、あっちに行ってくださいと言われたり、
もう移動出来ないぐらい暴風雨がひどくしょうがないのでここで待機してくださいとなったことなど。

???津波のときの避難場所と、台風のときの避難場所等、災害の種類によって避難場所が違うらしく、現場で混乱があったのだそうだ。

その情報が得られただけでも、町内会に出た甲斐があった、よしとするべきか。

はて。この情報とっても大事だと思うのだが、今のところ回覧板なども特に回ってこずで、シェア(共有)は、ない様子。一部の人だけが知ってる内容になるのかな? それもなんだか「?」でありまする。また話し合ったことは、住民に返してくれて、回ってくると信じたい。

結局町内会での災害に関する情報は、その最後の一つのみ。 極めて、極めて少なかった。


まず出来ること。つい抜け落ちがちな事。

次々災害が起こるので、息着く暇なしの近頃だ。皆、まずは自分自身の周囲を守ることで大変である。

高齢者の方々の避難、病人のいる方々の避難、子どもさんのいる方々の避難が大事だわーというのは、共通認識の様子でありますが、その前に、情報がそれぞれの人にちゃんと届いているのかという点をイメージしてみることが大事な気がしている。


自治会で発言するのは勇気がいるの

これを読んでくださっている皆様は、ぐんじょーさんがここに書いてある様ないろいろな事は、自治会の会議の上で発言したらよかったんちゃうのん? と思った方々ヨウサンいはると思います。 

されどその時は唖然、な驚きで心満タンそれどころではなく。振り返ってみても他の出席者からは誰も何も発言はなく。と言うことはどなたも困っておられなかったと言うことではなかろうか。その場での発言などまったく出てくる様子もなく、もう自分は自分で情報を集めようと思いましたんです。

そんなもんなの?どんなもんでしょう?はい、残念ながら、余裕がないと出来ません。余裕がないので、そうなりました。まずは自分自身や 自分の家族などを守ることで手いっぱいで、それをまずはせんと、人助けなど出来るはずもありません〜っ。もちろん町内ご近所の繋がりを、もっと作っていかんとな〜の思いもありながら、ですよ。

(今回の台風24号では「避難準備・高齢者等避難開始」が発令された段階で避難をしました。前回での経験で、「避難勧告」が出てからでは、周囲の様子は凄まじく、避難するのも大変だった為。)

うちんとこはいい感じやん?と思ったら

“私のところでは、そんなふうではなかったわ。団結していたもの”、等これを読む方の中ではいらっしゃるだろう。 
それはそれでおうらやましい。台風がきても安心と思えたそのお知恵、ご近所の取り組みがどんなふうなのか、周囲のご友人に是非とうとうとお話してください。これではいかんと思う方が増えるよう。重い腰を上げる方が増えんことにゃ、なんにも変わりませんのどす。


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お互いを尊重してのコミュニケーションだが、まかせっぱなしではなく

9月 30 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

先日の当事者会では、
市の介護保険課の職員さんに来ていただき、今年度からの介護保険の改正についてお話をしてもらった。

改正点は沢山ではなかったので30分ぐらいで終わりますよとおっしゃっておられたが、意見が沢山交わされ、1時間半位になる。今回のテーブルの並びは、スクール形式ではなく、ロの字の形でセッティングしたことも皆さんのお顔がよく見え、それぞれの言葉が引き出せる要因になったと思う。

参加者さんの日ごろの疑問や、介護職の方の経験談(あくまでも守秘義務は守り、話せる範囲での内容)なども話題に上り、内容がさらに深まり、参加した方々は満足された様子。質問に上がった内容は、市役所の職員さんに持って帰っていただき、なんらかの返答は必ず頂くこととなった。

今回は初参加で見学のご高齢の方が来られたのだが、この方への対応で私は考えさせられることとなった。仮にAさんと致します。

耳が遠い方の様に感じましたので、講師の側に座っていただいた。

レジュメ(資料)ありで、職員さんがお話しを進めて下さるのだが、じっと様子を見ていても、聞こえておられない様子が見てとれた。 これではその方にせっかくの内容が届かないと思ったので、社協当事者担当職員さんにマーカーを持ってきてもらい、ホワイトボードへ要点の板書を行った。

隣に座った世話人さんが、途中で資料のどのページを開くか等助けてくださるのだが、耳が遠くおられるためか、ご本人にはなかなか声が届かず。出来るサポートはするわよ♪と手伝う前向きさの世話人さんも「こりゃ無理だお手上げだ」の表情となる、、、。

その後、お話を振らせていただいたり、質問を振ったりはするのだが、会の内容とはずれていてもご自身が話されたいことだけを話し始める等、うまくコミュニケーションがとれないと感じることが重なった。 

社協の職員さんが側に行き、足りないところを助言下さったり、最終的に、その時点でサポート出来ることはこちらはすべてしたとは思うのだが、、、限界があるなと思った。

会が始まる前に、別の方も、話しかけて下さったりはしたが、「会話にならない」と感じるような雰囲気がちらっとあったことを思い出した。

ただ耳が遠い方だとは思っていたが深く考えずの私だった。そうか〜そうやそうや。見学に来られた方は、耳の側で大きな声で話しても、聞こえない位の耳の遠さ加減だったのだな。会話が成立しないのだ。

やはり、自分自身でも補聴器をつけるなど、人との交流を図る上での出来ることはご自身でしていただかないと、無理があるなあと感じた。

特に当方は高齢者を介護しているご家族が集まる会。 当事者会にいらっしゃるご家族の方で、ご自身で耳が遠いと自覚のある方は、使い慣れた補聴器や集音器の装備はお願いしたい〜。

少しでもいい情報を得てもらうためにも、よろしくお願い申し上げます。


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テーブルの配置はロの字型かアイランド型かスクール型か

9月 27 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

毎月1回の介護者の集まりの家族会の定例会では、机の配置に悩みます。
参加人数が多いか少ないかでも声の届き方や交流のしやすさが変わるため、始まる直前にすみません〜っと配列を移動させることもあります。人手は足りないので、机は元の位置に戻し易くするのが大事です。きっちり作るというよりも、ああもうこんなもんでいいわいな、という様に、結構適当である。

大きなイベントではあらかじめ参加者にはエントリーしてもらうが、通常の定例会では参加者の数は読めません。初参加の方が突然来られる場合もあります。雨の日は少ないですし、猛暑や極寒でもこれまた少ない。臨機応変に対応するのが一番であります。

先日、講師をお呼びしての勉強会をしたときのこと。

スクール型に席を作りました。

スクール型というのは、いわゆる学校での机の配列。参加者が全員前(講師側)をむく形式だ。
前では講師がスクリーンに図を映し出して、講話をしてくださる。

ご年配の方も多く参加する会なので、どうしても聞こえやすいかどうかを気にしながら席を配置する。
毎回マイクを使えれば問題はないのだが、参加人数により借りる部屋の大きさが決まる。大部屋では使えるのだが、そんな特別なイベント以外の小さく区切った部屋では使えなかったりする。そのため、講話なのに小部屋の場合は難儀することがある。

その勉強会では予想外に人が沢山いらしてくださり、学びの会が始まった。

会がうまくいくかどうかにばかり気が行くので、私はいつも勉強会の内容はあんまり頭に入っていない。

途中で明らかに 聞いておられないと見られる方を発見した。しばらく様子を見ていたのだが、おそらく耳が遠くていらっしゃるのだろう。

声は届いていますかと訊ねるも、大丈夫です、とのこと。

とはいっても レジュメは異なるページをずっと開いてらっしゃり、めくるのもまったく違うページばかり。案内をしてみても、これはどうにもなりそうになかった。嗚呼、マイクがあれば、、、。

勉強会はどうにか終了。 ああ今回の講師の方は少々熱くなると早口になりすぎる方だったので、難し過ぎてよくわからない部分も多々あった。耳が遠い方ならばなおさらか。

終わってから、参加者のおひとりが、スクール形式にすると、参加者は前向いてお話されたりするので、講師とのやりとりが後方の席には届かないのだ、聞こえにくかったよと感想を下さった。

聞こえの補助となる補聴器をつけておられたそうなのだが、それでも聞こえにくかったそうだ。ロの字型にテーブル配置するのが良かったのかも知れない。うーむ、次回の参考にしたい。

スクール形式は、勉強をしている気になれる。受講生同士では顔が見えないから集中が出来ると感じる。
でも一方的に講師の話を聞くだけになりがちだ。
来てくださる方が指定される場合もあるが、コミュニケーションを取る必要のある内容なのかでも変わってくる。
もう少しその時々で考えて配置をせんといけませんねえ。

加えて、ボランティアで関わる皆さんが皆、耳が遠い方への配慮が出来るかと言うとそうでもない気がする。そこは少々残念に思うことがある。

だが一方的に配慮するばかりでも問題は解決しないのだ、と思う出来事がこの後又あり、考えさせられることでした。これはまた次回ね〜。つれづれ。


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おもりばっかりは嫌だーーーーーっ

9月 23 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |


嗚呼。・゚・(ノД`)わかものくんと会話したい、、、、。じさまばさまばっかりは嫌、、、。

(はい、本日1500文字。速い人で2分半〜3分です。)自分自身の日常の生活と、行う介護の当事者会のボランティア(という言い方は好きではないのだが〜)のバランスが悪いと感じる時は冒頭のようなことを思ったりする。なんちゅうこというんや、と思って下さいますな。

当事者会を運営していくと、どこの会にもボランティアの支援者側にゃ、ひとりやふたり、個性的なくせ者がいらっしゃるご様子である。ああ、へんくつなのは私もだから、自分のことを棚に上げるな、ぐんにゃり亜鉛さんよ。

自らがやりましょうと手を上げ、自主的に当事者会に関わるのは熱い思いがあるからこそ。おひとりおひとりにこだわりがあり、事あるごとにヒートアップし意見を闘わせるのは理解出来ないことはない。年齢を重ねた自分もそうだなあと思うのだが、柔軟な考えというものからはほど遠い。かちんこちんになっちまう。

忘れる、とぼける?感情を全力でぶつける、マイナス点をあげて他者を非難する(と感じる)、など全く理解出来ずの言動が続出し、呆気に取られる。自分が振り回されることもある。ああ、生身の人間はサンドバックではないのである。

これは支援が必要になった方や介護が必要となった方のお話ではありません。

皆で同意の上で、頭に気持ちに汗して選んで、会に取り入れたものを、何度も否定されると立つ瀬がない。
「非難ではない、意見なのだ」うぬ?くすぶり続けるその方のわだかまりは何度もぶり返され、そのたびに耳にするのは疲れる。

年齢を重ねられると、仕方がないのかなと思う部分もある。ご自身でコントロールができなくなるのかもしれない。言うたら終わりですっきりされ、、、すぐお忘れになるのだね、千切れてしまわれるのだねとわかるのは、時間をかけて交流を深めるからだ。爆発された自覚はない。あっけらかんは変わらない、ので離れたところから見ると、愛されキャラクター♪となる。

最初は「?」だらけでまじめに考え込む自分であった。だんだん ”ご自身の体調不良や介護の心理的なしんどさ等、誰にでもあるストレスが、表面化して、見知った顔の中では爆発されるのだろう。それだけ信頼感が生まれているということか。”という様に感じるようになったのではあるが。

それにしてもあまりにもわたしとしては首をかしげたくなる場合もある。途中でストップをかけても止まらず、気持ちが収まりすべてが終わるまで待つこととなる。運営に支障が出ることもあると感じている。

意を決して来られた方に何を話しても安心出来る場を作ることに力を注ぎはするが、それは当事者の会であるからだ。 それといっしょくたになってボランティアの支える面々の間でも 何を話しても許される、と思ってしまう気安さが見え隠れする。そこはやはり人としての礼儀も必要だろう。

それぞれに、会はこうあったらいいという理想像があるものだから、結構言葉を戦わせることもある。意見を言える場であることは嬉しいのだが。

しかしながら、言うたらすぐ忘れるという特色のある方は、すぐ忘れるものですから、何回も何回も言わないかんというのは、心がしんどく、ああ私の時間を返して〜っと思ってしまいます。

当事者が集まり、お手伝いする方も兼ねると、世話人さんの中での交通整理が大変に思う事が多いです。それはそれで擦り切れます。人間力が試されるのは毎回ですが、あまりにもしんどいと、だんだん優先順位が下がってきます。現状では時間が割けなくなってきていて 以前よりは人にお願い出来るようになってきましたが〜。
 
2018年7月下旬の記述を再編集〜っ。いろいろな方のお話を聞いて書いておりますが、これはフィクションです。


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つい、話を聞いてしまうのはなんでか。

7月 28 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

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介護者家族の当事者会の運営に関しての書き込みです。主に高齢者を介護している当事者の集まりです。いち当事者世話人として関わっているので、そのボソボソです。
ーーーーーーーー
世話人会があると毎回決めごとや話し合うことが山積みで、ちゃっちゃと決めていかないと進まない。

でも、。・゚・(ノД`)、悲しいかな、だべりんぐが始まり、ストップがかけられない時もあるのである。

何でやろ?と先日思い返してみました。

その話に上がる内容が、高齢化社会のお困りごとや不安に思うことだったりの共通のお悩みで、何か会にプラスになるかも、と思い話が切れない、つい聞いてしまうのだということに気付かされました。

住んでいる地域でこんなお困りごとがあったし、そんなお困りごともあった。おお、そうなのか!でも結局は話始めたご本人が考えてどう解決出来るのか等、話を締めない限り、うやむやでようわからんままで終わってしまう。

ただ言いたいことだけを言い放ち、すっきりしただけのおしゃべりか? なんだったんだ今の時間は?ああもったいないぜ、会議が進まないから世話人の苛々が募る、、、と不毛な時間となってしまい、肝心なことが決められなくなったりするのである。

「ではあなたはどうしたらいいと思いますか?」「あなたには何が出来るでしょうか?」とご本人に投げかけることが必要になるのだ。「では私たち当事者会としてはどんな取り組みをしたらいいでしょうか?」等。

そうでないと考えなくなる。不満だけを言いっぱなしで終わってしまう。

そんないろいろあるお困りごとなのですが、世話人さんに殿方の割合が増えることで変わってくるのだということを感じている。やはりこれは嬉しい!ちゃんちゃんと事が進むのは気分が晴れやかである。今後に希望が見えてきた〜。


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こんなちっちゃい文字、読めるかいな

7月 28 2018 | 介護者会・家族会, 地域福祉 | コメントはこちらから |

よつこらせ

よっこらせ

介護の当事者会から、各種委員会への委員派遣

※ 再度読み込みをしてからお読みくださいませ。

「来期はちょっと無理だわ。ぼく、委員は退かせてもらうわ。違う人に引き継いでもらって欲しいんだ。会長さんにもそう伝えてるから、宜しくお願いしますね。」

「市から委員会の4日前ぐらい書類(にA4 サイズの委員会用の)がどっさり届いて、読んでから来い言うんは何考えてるねんって思うよ。もう目がしんどいんだよね。」

当事者会から委員会に出席して下さっていた方の声である。

^^^^^^^^^^^^
別の方は

もう、周りは大学教授とか、なんだか役職のある人ばっかりで、私、何にも言われへんわ。ちっちゃくなるわね〜。

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ものすごく大事な内容を話しているにもかかわらず、委員会の時間がどんどん短くなっていて、しゃんしゃんの会議な気がする。委員は真剣に内容を検討しようとしているのか疑問を感じるわ。
^^^^^^^^^^^^
直接聞いた声である。委員会での意見内容ではありません〜。

介護家族の市民代表に近いスタンス

介護の当事者会からは、各種委員会への委員派遣ということを行っている。
市及び社協の委員会である。

介護福祉関係の委員会(審議会)がいくつかあって、当事者会に委員派遣の依頼が来ます。それを現状では、介護の当事者会の世話人さんで分担して委員会出席をしている。

地域包括支援センターの運営に関するもの、権利擁護支援センターの運営に関するもの、権利擁護支援システムの推進と検討等、自治体の介護保険事業の計画策定に関するもの、地域の福祉計画に関するもの、地域密着型サービス等の運営に関するもの等々。委員任期ごとに市長さんより正式に委嘱される、あるいは社協より任命(?)されるという形が取られ、年に2〜6回ぐらい開催される委員会へ出席いたします。(開催回数は委員会によって異なります。)

介護真っ最中の世話人さんが委員をすることもあり、出来るだけ負担のないようにという配慮からか、何年か前までは社協さんからの声掛けは、「出席してもらえるだけでいいから」だった様子。それも社協スタッフさんより直接一個人への声かけなものだから、世話人周囲はその承る委員会の全体像がよく分かっておらず、そうよう、わからんままの十うん年ぐらい〜。

それで長い間来ていたのだが、“委員会では当事者会代表として委員出席をし、大事な内容が話されているにも関わらず、会員にその内容がまったく知らされていない、共有されないのはどうなんだろう?”というところに立ち返り、

委員に委嘱され、委員会出席をしてもらっている方々には、短い内容で構わないので、会報に委員会の報告をしていただく様になった。

それがどうにか軌道に乗るまで、世話人さんの間での共通認識として普通(あたりまえ?)なこととなるのには、5年位はかかった様に思える。会の成り立ちや、特色なども関係していて、当初は、そういう内容を会報に掲載することに異議を唱える世話人さんもおられたりしたためです。(これはいい悪いでは語れるものではありませず、やはり会の成り立ち、特色、その時々の世話人さんが、何を大切にしているかなどによっても変わるためだと思えます。)

少し前は、2〜3の委員会を掛け持ちされる方もおられたが、今はまんべんなく多くの方に出席して頂いて、現状をつかんでもらえているのでは、と皆さんの様子を見ながら感じている。

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各種委員会は開催時期が重なる。報告お願いします、と言っても、幅広くたくさんある内容をまとめるのがなかなか難しい。要約しても漢字だらけの内容ばっかりになってしまい、会員さんに向けての大事な会報の一ページにぎっしりどっさりということもある。 

「こんなん読みたくないわー、もっと楽しい内容を載せたいわー、明るい部分をもっと打ち出すほうがいいんじゃないの〜」という意見もある中、この委員派遣は、やはり会が当事者会として認められていることの一つでもあるため、伝えるのは大事なのでありますからしてこれは外せないのです、と、毎回うんうん頭を痛めながら話し合った上で、継続出来て(死守??)おります。なんと申しましょうか、これは今後の当事者会にとっては外せない、、、。

びっちりどっちゃりでページを埋めてしまうときは、一瞬読む気は無くなり、うーむと悩むのですが、、、。

「出席してもらうだけでいいから」では行き詰まる。

自分の経験でもあるのだが、「出席してもらうだけでいいから」ではその人だけで情報が止まってしまうので、行き詰まる。

少しでも行うと理解が深まる説明や、声を掛ける人ご自身の思いやら、そんなちょっとした一言があれば、まだ理解して委員会出席ができるのだが、その一言が足りないだけで次につながらなくなってしまうのだ。(「次」というのは、次回というだけではなく、次の世代という意味合いも含む。)

「出席してもらうだけでいいから」ではその場限りの人数稼ぎにしかならず、無責任な気がする。

いったいそれはなんじゃらほーい

確か何年か前、私もそんな声かけにより社協さんの委員会に参加することがあった。その会に委員出席してみたが、疑問に感じることが続出で、その疑問の内容が会員の間では共有されずに何年も経っている(確か五年?)ことに、はてな、ナンジャらホーーーーー?を感じた。第一回目の会の終了後のなんじゃらほーは格別で、社協職員さん2人を目の前に、(どちらも当事者会担当の方)「これはいったいなんですねん?どういうこってすかい、うむ?」となんじゃらほーの砲弾が炸裂したことを覚えている。(まじめなのね。)

その委員会が任期満了、終わるときに意見を出してくれ、と言われ、締め切り直前に当事者会の介護経験者メンバーと真剣に文面を考え頭を突き合わせて、猛ダッシュで当事者会として提出した意見書。とにもかくにも出すことに重きを置き、残念ながら決して美しいとは言えない乱れた文字での走り書きになってしまった。結局20名ほどの委員の中でまじめに提出したのは3名のみ。はて?そんなんでいいの?

 最終の委員会では、打ち直しではなくそのまんまコピーで 実名つきよ、ばっちり♪うふっ♪という状態で委員と出席者全員にその意見書は配布された。

「それでいいんかーーーーーーーーーっ、ふつーこう言うのは打ち直して配布されるもんとちゃうんかーーーーーいっ!」と心の中ではまあ怒る気持ちもござんしたが、文字が美しくない恥ずかしさで、頭に血が上り破裂しそうになりましたこともありました世。結構シビアな内容も込めたため、まじめに出したものが損するわけ?と小さい心で思いましたねんワタクシ。

その意見書に書いた質問に対する返答ももらわないまま、その委員会は終わりました。そんな委員会はそれでいいんかいな、ほんまに。余計にはてなが増幅されました。

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委員会の出席は慣れないと居心地が悪ーいの

それでもって紆余曲折もあり、ようやく辿り着いた(気がしているだけかもしれないが)、短くてもいいので、会の報告をお願いしますね♪を基本とした委員委嘱であります。委員さんの負担が多くなり、今後の担い手が少なくなるのでは等の懸念があるにせよ、現在は、年齢にすると、50歳代〜80歳代にわたる介護経験者の方々が当事者会の代表として委員会に出席して下さっている。感謝。

出席してくださる方の傾向は大きく2通りと感じる。

はっきりと(ではないにせよ)意見が言える方。
聞くだけで精いっぱい、意見なんてとてもとても〜私は参加するだけに徹したい。の方。

私としては、個人的でもいいので、意見があれば会の中で述べて頂きたいし、聞かせて欲しいと思うのだが、それには慣れも必要で。ご本人がそう思っていない限りはなかなかであります。(その人が思った行動がその人の最善だと思うので)。それに会での発言は、勇気がいったりいたします。

とにもかくにも、当事者会同士も連携が必要

そんな中で、委員会にただ一人で出席されるだけではなく、別の時に委員会の話を交わすようになったり、会報誌に委員会の報告をお願いするようになると、改めて、委員会の大切さを理解され、定例会の中でも口頭でご自身の言葉で報告をしてくださるようになった方もいらっしゃった。

どの委員会もとても大事な内容を話しあっているので、密にお知らせしてもらいたいのはやまやまですが、月一回の会と、会報の発行などのタイミングがうまくいくとき、うまくいかないとき色々ある。とにかく何だか、皆と意見を出しあいなが等、それぞれの会の有り様(ありよう)を尊重しながら、喧々諤々で形にしていっている。

そんな毎回いろいろがありながら、つらつらつれづれ、うんとこしょ、とどうにか保てている様に思えます。

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毎度毎度、当事者の会に関して非常にまとまりのない文章ですが、一旦表に出してから、またえっちらおっちら編集していこうと思っています。ここに記しましたのは一つの当事者会だけのことではなく、2つの当事者会にまたがっての内容になり、私の独断と偏見に充ち満ちた様な、思うところでございます。 お読み頂きありがとうございました。


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参加してみて失敗したと思っても、自分を振り返るきっかけになる

7月 20 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

介護の話を日常会話のようにあげても、決して誰からもドン引きされない場

いらっしゃいませ。本日は、地域の介護者の集いに関する内容を。(こちらの記事は高齢者に関して記しています)

介護中のみなさんが、地域の介護者の集いというものに、参加されたことがあるかも知れません。今、全国的に自治体が推奨していて、集い場政策的な動きが活発していますからテレビに取り上げられることもありますし、ご存知の方も多いかもしれません。(参考記事は文末に)

たとえば高齢者の介護に関するものですと、 介護者家族会、高齢者介護者の会、認知症カフェ(専門家が参加しています)、認知症の介護者家族会、介護経験者の集う会です。でもよく知らん人は多いと思われます。

わかりやすく言いますと、「介護の話を日常会話のようにあげても、決して誰からもドン引きされない場」です。介護経験者の集う会であります。(結構これはうまいこと表現出来たような気がします。)

その自治体に住まう(あるいは勤務されている)方ならば、どなたでもOKな広域にわたる介護者会と、小学校地域ごとに行うようなちっちゃな介護者会があると思われます。これは若干毛色が異なります。ぐんじょーが関わるのは広域にわたる介護者会です。(とは言っても、地元の会には行きづらいからと、隣の自治体にあえてこられる方もいらっしゃいます。)

参加してみて、介護中の人と知り合えるきっかけが出来て世界が広がった、気持ちが楽になったという方もおられると思いますが、一方、ものすごい決意で出席したのに、嗚呼、参加しなきゃ良かった、と思って行かなくなった方も多いんじゃないかなあ〜。そんな方々は、

あなたには合わなかった、と思っていただけると多分間違いはないです。けれどもその会の印象は、すべての会に共通しているわけではありません〜。
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介護保険がはじまった当初の、小さい地域での(小学校区域、あるいはもっと小さく、町単位等?)の介護者の会は、介護をされている方々をねぎらって差し上げる会、という様相が強かったのでは?と個人的には思っている。

介護者を支えるっていったってどうすりゃいいんだ? と主催側が戸惑っておられたのかも知れないが、とにかく専門家や、地域の民生委員さんをはじめお偉いさんをあつめて介護されている方をぐるりと取り囲み、現状と心情を吐露してもらう、、、という介護者からすると違和感バリバリな会だったようにも思う。

小学校地域のものには最近殆ど参加をしていないので分からないが、自主的に派生している介護者会は、現在は、「自分たちで情報交換して元気になって逞しくなる会」となっている気がするがどうだろう?約18年弱の間に様変わりしている気がする。

(この小さい地域のものは、高齢の方の介護に対する昔からの考え、というものが根強くあるため、なかなか改革はされづらいように感じますが、徐々に変わってきている印象もあります。
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介護者の会に参加して、心は晴れるものなのか?

< 区域地域が狭められる会の場合だと、知った顔ばかりでジモティ過ぎて、ここで何を話せばいいんじゃ姑さんの介護のことなんて話せやしない、と思った方もおられるかも。(距離が近すぎて話せませんよね) 結局は介護の現状を話さないとどうにもならんかったりするので、話をしてみるとあれこれ聞かれて、それが詮索されるように感じられ、ぐったり疲れてしまうこともあるかも知れない。 「〜だと思っていたのに、違った。」そんな方は、ちょっとゆっくり振り返ってみていただけたら、、、。  せっかくこのページに来られて記事を読んで下さっているので、ご自身が何を感じたのかを振り返るのもいかがだろう、文句だけでがっかり感だけで終わらせるのはもったいない。自分は何を求めてここに来たのかが体験してみてわかるのだと思う。

自分が感じる違和感を整理してみる

どんなだったら、自分はずっと続けて来ようかと思えたのか、行ってみたいと思えるのか。
自分自身に訊ねてみて欲しい。

あなたのご要望に沿ったぴったりの、そんな会は、あるかも知れないし、まったくないかも知れない。 

すべてに満点はないかも知れないけど、最大許容出来る部分、自分にプラスとなって、マイナスと感じない気がしたのならばまた参加するのもいいのではと思う。

話が合いそうな人が一人いるなと思えればラッキー、その方との交流を深めるというのも一つです。

元気な気が集まるばかりではない。介護中の方が集まっているんだもん。しんどさを見せない方も多いがみなさんやっぱり疲れていらっしゃるものです。 なので、人の「気」をもらいやすい人は参加するのはしんどいかも知れない。毎回出席して見て、その「気」をダイレクトに受け止めてしまってうまく流せない、疲れがたまる一方だと感じるならば、止めておいたらいいのでは、と私は思う。

なぜかというと、私自身が結構人の「気」をもらいやすいと感じているから。毎回定例会が終わるとぐったりすることが重なるので、いかに人の気に影響を受けずに自分を律するか〜は自分の課題だと思っている。

一時傾聴のボランティアに特養に入らせていただいたこともあるが、毎回丸ごと受け止めてしまって体が持たないので、お休みしている。介護者会、当事者会の支援者側にあるけれど、会への出席では毎回、自分をしゃんとさせてから関わるようにしている。

人が集まる場ですので、いろんなことがございます

実際参加してみると、色々な感想があると思うのです。
参加者が明るく元気になれるように工夫して欲しい要望があったとしても(あるだろうなあ)、運営側に余裕がなければ、それは簡単ではないのでありますの。(まあ代表として運営に関わっている面々の個性によります)

とにもかくにも有志の方々の前向きな姿勢と試行錯誤で会は成り立っています。

まったく介護をされたことのない方とお話をすると、どうしても理解してもらえない部分があり、もどかしく感じることも多いのではと思います。ですが、介護経験者の集っている会なので、その点はまだハードルは低い、介護中のあなたの心情を受け止めてもらえる確率は高い。

人間出来た人ばかりの集まりではない、ということを頭の片隅に置いていただいて、その上で参加してもらうと、まだダメージは少ないと思われます。
 

期待はせずとも、ちょとだけ期待

「あーたもっと当事者の会を宣伝せにゃいかんでしょう〜!」というお姉さま方お兄さま方の声が聞こえてきそうです。

ですが、まあ正直なところ、すみません、期待せずに参加するのが一番持って帰るものが多いようにわたしは思えます。 

世話人さんはボランティアの有志なので、力を出してもらえるだけありがたいのだ、という点があります。 なので会員さんが会の今後を真剣に思って(あるいは憂いて)、会の助言を感想を本音で言ってくれているかはわかりません。そんな人が多い会は良い会でしょう。意見が言いやすい会なのですから。そんなことがまったく言えない雰囲気が漂っている会だと、それはそれでしんどいかも知れません。

でもねえ、そのときそのときの定例会はとにもかくにもその時の最善なのです。

参加してみて、会に対してこうなったらいいのになあ、ああなったらいいのになあ、と少しでも思って、力を出せるかも、お役に立とうと思えたならば、どうぞお手伝いに入ってみてください。また違った見方が出来て、あなたの引き出しが増えるかも知れません。

参考はこちら。介護ライブラリに書きました記事です。

介護イラストレーター群青亜鉛 の「自宅で介護お助けヒント集」
介護家族会編

※ ばばばーっと思いついたまま書きなぐっております。とにかく出して、それから整理してるような感じですので、ようわからんと思われるかも知れません、ご容赦下さいませ。


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介護者の会や家族会、世話人さんとはこうあるべき、に縛られる

7月 19 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

介護者の会の運営に世話人さんとして関わっていると、それぞれの参加されている方の「価値観」を感じることが多い。

いきなりだが、一つあげてみる。

まめに施設に面会に行く家族介護者はすばらしいのだ、という価値観。それはその方が常に根底で思っていることであるからして、様々な言動に出てくるものである。

それには賛同しかねる自分がいる。面会に行く回数の多い少ないではなく、その時のその方が出した最善ならば、回数は関係なくそれでいいではないかそれぞれに事情があるのだからと。どう考えてもまめに行ける人と行けない人がいることぐらいは理解ができるからだ。

たまたま会の会員さんにまめに行く方が多かったとしても、それはその方々の選択なのであって、やみくもに素晴らしい〜、というのとはチョト違う。 

介護者が仕事を持っている持っていない、その背景、介護者が一人なのか多数なのか、キーマンが誰なのか、そしてやはり入居されている方との関係性もある。短絡的に、いいわるいを無理やり当てはめてその人を判断するのはいかんのではないかと思っちゃうのだ。

それをただ単に賛美すると、介護に行く家族はすばらしいのだ、まめにいけない家族はばってんなのだ、という意識にもなりかねない。それは違うんとチャウノン、なんてことをもやもよと振り返って自分は思うものだから、

世話人さんがその発言をしてどうなのだ?価値観の押し付けになるんじゃないか、と思うときもあったり、その一言でどなたかが大きなダメージを受ける場合もあるんじゃないかとハラハラしたり。頭は忙しいのだ。

自分を振り返ってみるとよく分かる様に、当事者会の世話人をしているからといえ、人格者になっちょるんか?いんやとっても良くできた人でもない。菩薩のような人が世話人をしているかというと、そうではないことは承知の上である、そのくせに続けていると、”世話人さんはこうあるべき”という訳知り顔の常識が自分の中にできていたりするからややこしい。

どんな価値観もありなスタンスだから否定するのは違うと思うし、糾弾するのももちろん異なる。みんなよかれと思っての発言である。「だからたちが悪い」と思う自分もいる。

交流会では毎回、毎回、いろんな価値観が交わる。そこで、いろんな思いが湧いてきて、嫌でも自分を振り返ることになる。「それは違うんちゃうのん〜?」と思うときがあっても、その方を受け止める。共感は出来なくても、その方の思いなのだと受け止めることは出来るとちかごろは思えるようになった。

うんちゃら なんちゃら とそんな風に うんにゃら 思って、
その時の発言は、それぞれの方の、その時の最善であるからして、それをよしとして次に進もうかいのう、と、毎回なんやかんやと思うのでありまする。

大我にはほど遠く、ちっちゃいちっちゃいことがいつも気になるもので、頭はとってもざわざわしていて忙しい。


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