イラストレーター群青亜鉛が発信する、104歳おばあちゃん介護のイラストエッセイ。介護の工夫と次の一歩。

お互いを尊重してのコミュニケーションだが、まかせっぱなしではなく

9月 30 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

先日の当事者会では、
市の介護保険課の職員さんに来ていただき、今年度からの介護保険の改正についてお話をしてもらった。

改正点は沢山ではなかったので30分ぐらいで終わりますよとおっしゃっておられたが、意見が沢山交わされ、1時間半位になる。今回のテーブルの並びは、スクール形式ではなく、ロの字の形でセッティングしたことも皆さんのお顔がよく見え、それぞれの言葉が引き出せる要因になったと思う。

参加者さんの日ごろの疑問や、介護職の方の経験談(あくまでも守秘義務は守り、話せる範囲での内容)なども話題に上り、内容がさらに深まり、参加した方々は満足された様子。質問に上がった内容は、市役所の職員さんに持って帰っていただき、なんらかの返答は必ず頂くこととなった。

今回は初参加で見学のご高齢の方が来られたのだが、この方への対応で私は考えさせられることとなった。仮にAさんと致します。

耳が遠い方の様に感じましたので、講師の側に座っていただいた。

レジュメ(資料)ありで、職員さんがお話しを進めて下さるのだが、じっと様子を見ていても、聞こえておられない様子が見てとれた。 これではその方にせっかくの内容が届かないと思ったので、社協当事者担当職員さんにマーカーを持ってきてもらい、ホワイトボードへ要点の板書を行った。

隣に座った世話人さんが、途中で資料のどのページを開くか等助けてくださるのだが、耳が遠くおられるためか、ご本人にはなかなか声が届かず。出来るサポートはするわよ♪と手伝う前向きさの世話人さんも「こりゃ無理だお手上げだ」の表情となる、、、。

その後、お話を振らせていただいたり、質問を振ったりはするのだが、会の内容とはずれていてもご自身が話されたいことだけを話し始める等、うまくコミュニケーションがとれないと感じることが重なった。 

社協の職員さんが側に行き、足りないところを助言下さったり、最終的に、その時点でサポート出来ることはこちらはすべてしたとは思うのだが、、、限界があるなと思った。

会が始まる前に、別の方も、話しかけて下さったりはしたが、「会話にならない」と感じるような雰囲気がちらっとあったことを思い出した。

ただ耳が遠い方だとは思っていたが深く考えずの私だった。そうか〜そうやそうや。見学に来られた方は、耳の側で大きな声で話しても、聞こえない位の耳の遠さ加減だったのだな。会話が成立しないのだ。

やはり、自分自身でも補聴器をつけるなど、人との交流を図る上での出来ることはご自身でしていただかないと、無理があるなあと感じた。

特に当方は高齢者を介護しているご家族が集まる会。 当事者会にいらっしゃるご家族の方で、ご自身で耳が遠いと自覚のある方は、使い慣れた補聴器や集音器の装備はお願いしたい〜。

少しでもいい情報を得てもらうためにも、よろしくお願い申し上げます。


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テーブルの配置はロの字型かアイランド型かスクール型か

9月 27 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

毎月1回の介護者の集まりの家族会の定例会では、机の配置に悩みます。
参加人数が多いか少ないかでも声の届き方や交流のしやすさが変わるため、始まる直前にすみません〜っと配列を移動させることもあります。人手は足りないので、机は元の位置に戻し易くするのが大事です。きっちり作るというよりも、ああもうこんなもんでいいわいな、という様に、結構適当である。

大きなイベントではあらかじめ参加者にはエントリーしてもらうが、通常の定例会では参加者の数は読めません。初参加の方が突然来られる場合もあります。雨の日は少ないですし、猛暑や極寒でもこれまた少ない。臨機応変に対応するのが一番であります。

先日、講師をお呼びしての勉強会をしたときのこと。

スクール型に席を作りました。

スクール型というのは、いわゆる学校での机の配列。参加者が全員前(講師側)をむく形式だ。
前では講師がスクリーンに図を映し出して、講話をしてくださる。

ご年配の方も多く参加する会なので、どうしても聞こえやすいかどうかを気にしながら席を配置する。
毎回マイクを使えれば問題はないのだが、参加人数により借りる部屋の大きさが決まる。大部屋では使えるのだが、そんな特別なイベント以外の小さく区切った部屋では使えなかったりする。そのため、講話なのに小部屋の場合は難儀することがある。

その勉強会では予想外に人が沢山いらしてくださり、学びの会が始まった。

会がうまくいくかどうかにばかり気が行くので、私はいつも勉強会の内容はあんまり頭に入っていない。

途中で明らかに 聞いておられないと見られる方を発見した。しばらく様子を見ていたのだが、おそらく耳が遠くていらっしゃるのだろう。

声は届いていますかと訊ねるも、大丈夫です、とのこと。

とはいっても レジュメは異なるページをずっと開いてらっしゃり、めくるのもまったく違うページばかり。案内をしてみても、これはどうにもなりそうになかった。嗚呼、マイクがあれば、、、。

勉強会はどうにか終了。 ああ今回の講師の方は少々熱くなると早口になりすぎる方だったので、難し過ぎてよくわからない部分も多々あった。耳が遠い方ならばなおさらか。

終わってから、参加者のおひとりが、スクール形式にすると、参加者は前向いてお話されたりするので、講師とのやりとりが後方の席には届かないのだ、聞こえにくかったよと感想を下さった。

聞こえの補助となる補聴器をつけておられたそうなのだが、それでも聞こえにくかったそうだ。ロの字型にテーブル配置するのが良かったのかも知れない。うーむ、次回の参考にしたい。

スクール形式は、勉強をしている気になれる。受講生同士では顔が見えないから集中が出来ると感じる。
でも一方的に講師の話を聞くだけになりがちだ。
来てくださる方が指定される場合もあるが、コミュニケーションを取る必要のある内容なのかでも変わってくる。
もう少しその時々で考えて配置をせんといけませんねえ。

加えて、ボランティアで関わる皆さんが皆、耳が遠い方への配慮が出来るかと言うとそうでもない気がする。そこは少々残念に思うことがある。

だが一方的に配慮するばかりでも問題は解決しないのだ、と思う出来事がこの後又あり、考えさせられることでした。これはまた次回ね〜。つれづれ。


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おもりばっかりは嫌だーーーーーっ

9月 23 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |


嗚呼。・゚・(ノД`)わかものくんと会話したい、、、、。じさまばさまばっかりは嫌、、、。

(はい、本日1500文字。速い人で2分半〜3分です。)自分自身の日常の生活と、行う介護の当事者会のボランティア(という言い方は好きではないのだが〜)のバランスが悪いと感じる時は冒頭のようなことを思ったりする。なんちゅうこというんや、と思って下さいますな。

当事者会を運営していくと、どこの会にもボランティアの支援者側にゃ、ひとりやふたり、個性的なくせ者がいらっしゃるご様子である。ああ、へんくつなのは私もだから、自分のことを棚に上げるな、ぐんにゃり亜鉛さんよ。

自らがやりましょうと手を上げ、自主的に当事者会に関わるのは熱い思いがあるからこそ。おひとりおひとりにこだわりがあり、事あるごとにヒートアップし意見を闘わせるのは理解出来ないことはない。年齢を重ねた自分もそうだなあと思うのだが、柔軟な考えというものからはほど遠い。かちんこちんになっちまう。

忘れる、とぼける?感情を全力でぶつける、マイナス点をあげて他者を非難する(と感じる)、など全く理解出来ずの言動が続出し、呆気に取られる。自分が振り回されることもある。ああ、生身の人間はサンドバックではないのである。

これは支援が必要になった方や介護が必要となった方のお話ではありません。

皆で同意の上で、頭に気持ちに汗して選んで、会に取り入れたものを、何度も否定されると立つ瀬がない。
「非難ではない、意見なのだ」うぬ?くすぶり続けるその方のわだかまりは何度もぶり返され、そのたびに耳にするのは疲れる。

年齢を重ねられると、仕方がないのかなと思う部分もある。ご自身でコントロールができなくなるのかもしれない。言うたら終わりですっきりされ、、、すぐお忘れになるのだね、千切れてしまわれるのだねとわかるのは、時間をかけて交流を深めるからだ。爆発された自覚はない。あっけらかんは変わらない、ので離れたところから見ると、愛されキャラクター♪となる。

最初は「?」だらけでまじめに考え込む自分であった。だんだん ”ご自身の体調不良や介護の心理的なしんどさ等、誰にでもあるストレスが、表面化して、見知った顔の中では爆発されるのだろう。それだけ信頼感が生まれているということか。”という様に感じるようになったのではあるが。

それにしてもあまりにもわたしとしては首をかしげたくなる場合もある。途中でストップをかけても止まらず、気持ちが収まりすべてが終わるまで待つこととなる。運営に支障が出ることもあると感じている。

意を決して来られた方に何を話しても安心出来る場を作ることに力を注ぎはするが、それは当事者の会であるからだ。 それといっしょくたになってボランティアの支える面々の間でも 何を話しても許される、と思ってしまう気安さが見え隠れする。そこはやはり人としての礼儀も必要だろう。

それぞれに、会はこうあったらいいという理想像があるものだから、結構言葉を戦わせることもある。意見を言える場であることは嬉しいのだが。

しかしながら、言うたらすぐ忘れるという特色のある方は、すぐ忘れるものですから、何回も何回も言わないかんというのは、心がしんどく、ああ私の時間を返して〜っと思ってしまいます。

当事者が集まり、お手伝いする方も兼ねると、世話人さんの中での交通整理が大変に思う事が多いです。それはそれで擦り切れます。人間力が試されるのは毎回ですが、あまりにもしんどいと、だんだん優先順位が下がってきます。現状では時間が割けなくなってきていて 以前よりは人にお願い出来るようになってきましたが〜。
 
2018年7月下旬の記述を再編集〜っ。いろいろな方のお話を聞いて書いておりますが、これはフィクションです。


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つい、話を聞いてしまうのはなんでか。

7月 28 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

20040205_kazokukai_gunjoaen.img

介護者家族の当事者会の運営に関しての書き込みです。主に高齢者を介護している当事者の集まりです。いち当事者世話人として関わっているので、そのボソボソです。
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世話人会があると毎回決めごとや話し合うことが山積みで、ちゃっちゃと決めていかないと進まない。

でも、。・゚・(ノД`)、悲しいかな、だべりんぐが始まり、ストップがかけられない時もあるのである。

何でやろ?と先日思い返してみました。

その話に上がる内容が、高齢化社会のお困りごとや不安に思うことだったりの共通のお悩みで、何か会にプラスになるかも、と思い話が切れない、つい聞いてしまうのだということに気付かされました。

住んでいる地域でこんなお困りごとがあったし、そんなお困りごともあった。おお、そうなのか!でも結局は話始めたご本人が考えてどう解決出来るのか等、話を締めない限り、うやむやでようわからんままで終わってしまう。

ただ言いたいことだけを言い放ち、すっきりしただけのおしゃべりか? なんだったんだ今の時間は?ああもったいないぜ、会議が進まないから世話人の苛々が募る、、、と不毛な時間となってしまい、肝心なことが決められなくなったりするのである。

「ではあなたはどうしたらいいと思いますか?」「あなたには何が出来るでしょうか?」とご本人に投げかけることが必要になるのだ。「では私たち当事者会としてはどんな取り組みをしたらいいでしょうか?」等。

そうでないと考えなくなる。不満だけを言いっぱなしで終わってしまう。

そんないろいろあるお困りごとなのですが、世話人さんに殿方の割合が増えることで変わってくるのだということを感じている。やはりこれは嬉しい!ちゃんちゃんと事が進むのは気分が晴れやかである。今後に希望が見えてきた〜。


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こんなちっちゃい文字、読めるかいな

7月 28 2018 | 介護者会・家族会, 地域福祉 | コメントはこちらから |

よつこらせ

よっこらせ

介護の当事者会から、各種委員会への委員派遣

※ 再度読み込みをしてからお読みくださいませ。

「来期はちょっと無理だわ。ぼく、委員は退かせてもらうわ。違う人に引き継いでもらって欲しいんだ。会長さんにもそう伝えてるから、宜しくお願いしますね。」

「市から委員会の4日前ぐらい書類(にA4 サイズの委員会用の)がどっさり届いて、読んでから来い言うんは何考えてるねんって思うよ。もう目がしんどいんだよね。」

当事者会から委員会に出席して下さっていた方の声である。

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別の方は

もう、周りは大学教授とか、なんだか役職のある人ばっかりで、私、何にも言われへんわ。ちっちゃくなるわね〜。

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ものすごく大事な内容を話しているにもかかわらず、委員会の時間がどんどん短くなっていて、しゃんしゃんの会議な気がする。委員は真剣に内容を検討しようとしているのか疑問を感じるわ。
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直接聞いた声である。委員会での意見内容ではありません〜。

介護家族の市民代表に近いスタンス

介護の当事者会からは、各種委員会への委員派遣ということを行っている。
市及び社協の委員会である。

介護福祉関係の委員会(審議会)がいくつかあって、当事者会に委員派遣の依頼が来ます。それを現状では、介護の当事者会の世話人さんで分担して委員会出席をしている。

地域包括支援センターの運営に関するもの、権利擁護支援センターの運営に関するもの、権利擁護支援システムの推進と検討等、自治体の介護保険事業の計画策定に関するもの、地域の福祉計画に関するもの、地域密着型サービス等の運営に関するもの等々。委員任期ごとに市長さんより正式に委嘱される、あるいは社協より任命(?)されるという形が取られ、年に2〜6回ぐらい開催される委員会へ出席いたします。(開催回数は委員会によって異なります。)

介護真っ最中の世話人さんが委員をすることもあり、出来るだけ負担のないようにという配慮からか、何年か前までは社協さんからの声掛けは、「出席してもらえるだけでいいから」だった様子。それも社協スタッフさんより直接一個人への声かけなものだから、世話人周囲はその承る委員会の全体像がよく分かっておらず、そうよう、わからんままの十うん年ぐらい〜。

それで長い間来ていたのだが、“委員会では当事者会代表として委員出席をし、大事な内容が話されているにも関わらず、会員にその内容がまったく知らされていない、共有されないのはどうなんだろう?”というところに立ち返り、

委員に委嘱され、委員会出席をしてもらっている方々には、短い内容で構わないので、会報に委員会の報告をしていただく様になった。

それがどうにか軌道に乗るまで、世話人さんの間での共通認識として普通(あたりまえ?)なこととなるのには、5年位はかかった様に思える。会の成り立ちや、特色なども関係していて、当初は、そういう内容を会報に掲載することに異議を唱える世話人さんもおられたりしたためです。(これはいい悪いでは語れるものではありませず、やはり会の成り立ち、特色、その時々の世話人さんが、何を大切にしているかなどによっても変わるためだと思えます。)

少し前は、2〜3の委員会を掛け持ちされる方もおられたが、今はまんべんなく多くの方に出席して頂いて、現状をつかんでもらえているのでは、と皆さんの様子を見ながら感じている。

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各種委員会は開催時期が重なる。報告お願いします、と言っても、幅広くたくさんある内容をまとめるのがなかなか難しい。要約しても漢字だらけの内容ばっかりになってしまい、会員さんに向けての大事な会報の一ページにぎっしりどっさりということもある。 

「こんなん読みたくないわー、もっと楽しい内容を載せたいわー、明るい部分をもっと打ち出すほうがいいんじゃないの〜」という意見もある中、この委員派遣は、やはり会が当事者会として認められていることの一つでもあるため、伝えるのは大事なのでありますからしてこれは外せないのです、と、毎回うんうん頭を痛めながら話し合った上で、継続出来て(死守??)おります。なんと申しましょうか、これは今後の当事者会にとっては外せない、、、。

びっちりどっちゃりでページを埋めてしまうときは、一瞬読む気は無くなり、うーむと悩むのですが、、、。

「出席してもらうだけでいいから」では行き詰まる。

自分の経験でもあるのだが、「出席してもらうだけでいいから」ではその人だけで情報が止まってしまうので、行き詰まる。

少しでも行うと理解が深まる説明や、声を掛ける人ご自身の思いやら、そんなちょっとした一言があれば、まだ理解して委員会出席ができるのだが、その一言が足りないだけで次につながらなくなってしまうのだ。(「次」というのは、次回というだけではなく、次の世代という意味合いも含む。)

「出席してもらうだけでいいから」ではその場限りの人数稼ぎにしかならず、無責任な気がする。

いったいそれはなんじゃらほーい

確か何年か前、私もそんな声かけにより社協さんの委員会に参加することがあった。その会に委員出席してみたが、疑問に感じることが続出で、その疑問の内容が会員の間では共有されずに何年も経っている(確か五年?)ことに、はてな、ナンジャらホーーーーー?を感じた。第一回目の会の終了後のなんじゃらほーは格別で、社協職員さん2人を目の前に、(どちらも当事者会担当の方)「これはいったいなんですねん?どういうこってすかい、うむ?」となんじゃらほーの砲弾が炸裂したことを覚えている。(まじめなのね。)

その委員会が任期満了、終わるときに意見を出してくれ、と言われ、締め切り直前に当事者会の介護経験者メンバーと真剣に文面を考え頭を突き合わせて、猛ダッシュで当事者会として提出した意見書。とにもかくにも出すことに重きを置き、残念ながら決して美しいとは言えない乱れた文字での走り書きになってしまった。結局20名ほどの委員の中でまじめに提出したのは3名のみ。はて?そんなんでいいの?

 最終の委員会では、打ち直しではなくそのまんまコピーで 実名つきよ、ばっちり♪うふっ♪という状態で委員と出席者全員にその意見書は配布された。

「それでいいんかーーーーーーーーーっ、ふつーこう言うのは打ち直して配布されるもんとちゃうんかーーーーーいっ!」と心の中ではまあ怒る気持ちもござんしたが、文字が美しくない恥ずかしさで、頭に血が上り破裂しそうになりましたこともありました世。結構シビアな内容も込めたため、まじめに出したものが損するわけ?と小さい心で思いましたねんワタクシ。

その意見書に書いた質問に対する返答ももらわないまま、その委員会は終わりました。そんな委員会はそれでいいんかいな、ほんまに。余計にはてなが増幅されました。

^^^^^^^^^^

委員会の出席は慣れないと居心地が悪ーいの

それでもって紆余曲折もあり、ようやく辿り着いた(気がしているだけかもしれないが)、短くてもいいので、会の報告をお願いしますね♪を基本とした委員委嘱であります。委員さんの負担が多くなり、今後の担い手が少なくなるのでは等の懸念があるにせよ、現在は、年齢にすると、50歳代〜80歳代にわたる介護経験者の方々が当事者会の代表として委員会に出席して下さっている。感謝。

出席してくださる方の傾向は大きく2通りと感じる。

はっきりと(ではないにせよ)意見が言える方。
聞くだけで精いっぱい、意見なんてとてもとても〜私は参加するだけに徹したい。の方。

私としては、個人的でもいいので、意見があれば会の中で述べて頂きたいし、聞かせて欲しいと思うのだが、それには慣れも必要で。ご本人がそう思っていない限りはなかなかであります。(その人が思った行動がその人の最善だと思うので)。それに会での発言は、勇気がいったりいたします。

とにもかくにも、当事者会同士も連携が必要

そんな中で、委員会にただ一人で出席されるだけではなく、別の時に委員会の話を交わすようになったり、会報誌に委員会の報告をお願いするようになると、改めて、委員会の大切さを理解され、定例会の中でも口頭でご自身の言葉で報告をしてくださるようになった方もいらっしゃった。

どの委員会もとても大事な内容を話しあっているので、密にお知らせしてもらいたいのはやまやまですが、月一回の会と、会報の発行などのタイミングがうまくいくとき、うまくいかないとき色々ある。とにかく何だか、皆と意見を出しあいなが等、それぞれの会の有り様(ありよう)を尊重しながら、喧々諤々で形にしていっている。

そんな毎回いろいろがありながら、つらつらつれづれ、うんとこしょ、とどうにか保てている様に思えます。

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毎度毎度、当事者の会に関して非常にまとまりのない文章ですが、一旦表に出してから、またえっちらおっちら編集していこうと思っています。ここに記しましたのは一つの当事者会だけのことではなく、2つの当事者会にまたがっての内容になり、私の独断と偏見に充ち満ちた様な、思うところでございます。 お読み頂きありがとうございました。


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参加してみて失敗したと思っても、自分を振り返るきっかけになる

7月 20 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

介護の話を日常会話のようにあげても、決して誰からもドン引きされない場

いらっしゃいませ。本日は、地域の介護者の集いに関する内容を。(こちらの記事は高齢者に関して記しています)

介護中のみなさんが、地域の介護者の集いというものに、参加されたことがあるかも知れません。今、全国的に自治体が推奨していて、集い場政策的な動きが活発していますからテレビに取り上げられることもありますし、ご存知の方も多いかもしれません。(参考記事は文末に)

たとえば高齢者の介護に関するものですと、 介護者家族会、高齢者介護者の会、認知症カフェ(専門家が参加しています)、認知症の介護者家族会、介護経験者の集う会です。でもよく知らん人は多いと思われます。

わかりやすく言いますと、「介護の話を日常会話のようにあげても、決して誰からもドン引きされない場」です。介護経験者の集う会であります。(結構これはうまいこと表現出来たような気がします。)

その自治体に住まう(あるいは勤務されている)方ならば、どなたでもOKな広域にわたる介護者会と、小学校地域ごとに行うようなちっちゃな介護者会があると思われます。これは若干毛色が異なります。ぐんじょーが関わるのは広域にわたる介護者会です。(とは言っても、地元の会には行きづらいからと、隣の自治体にあえてこられる方もいらっしゃいます。)

参加してみて、介護中の人と知り合えるきっかけが出来て世界が広がった、気持ちが楽になったという方もおられると思いますが、一方、ものすごい決意で出席したのに、嗚呼、参加しなきゃ良かった、と思って行かなくなった方も多いんじゃないかなあ〜。そんな方々は、

あなたには合わなかった、と思っていただけると多分間違いはないです。けれどもその会の印象は、すべての会に共通しているわけではありません〜。
ーーーーー
介護保険がはじまった当初の、小さい地域での(小学校区域、あるいはもっと小さく、町単位等?)の介護者の会は、介護をされている方々をねぎらって差し上げる会、という様相が強かったのでは?と個人的には思っている。

介護者を支えるっていったってどうすりゃいいんだ? と主催側が戸惑っておられたのかも知れないが、とにかく専門家や、地域の民生委員さんをはじめお偉いさんをあつめて介護されている方をぐるりと取り囲み、現状と心情を吐露してもらう、、、という介護者からすると違和感バリバリな会だったようにも思う。

小学校地域のものには最近殆ど参加をしていないので分からないが、自主的に派生している介護者会は、現在は、「自分たちで情報交換して元気になって逞しくなる会」となっている気がするがどうだろう?約18年弱の間に様変わりしている気がする。

(この小さい地域のものは、高齢の方の介護に対する昔からの考え、というものが根強くあるため、なかなか改革はされづらいように感じますが、徐々に変わってきている印象もあります。
ーーーーーーーー

介護者の会に参加して、心は晴れるものなのか?

< 区域地域が狭められる会の場合だと、知った顔ばかりでジモティ過ぎて、ここで何を話せばいいんじゃ姑さんの介護のことなんて話せやしない、と思った方もおられるかも。(距離が近すぎて話せませんよね) 結局は介護の現状を話さないとどうにもならんかったりするので、話をしてみるとあれこれ聞かれて、それが詮索されるように感じられ、ぐったり疲れてしまうこともあるかも知れない。 「〜だと思っていたのに、違った。」そんな方は、ちょっとゆっくり振り返ってみていただけたら、、、。  せっかくこのページに来られて記事を読んで下さっているので、ご自身が何を感じたのかを振り返るのもいかがだろう、文句だけでがっかり感だけで終わらせるのはもったいない。自分は何を求めてここに来たのかが体験してみてわかるのだと思う。

自分が感じる違和感を整理してみる

どんなだったら、自分はずっと続けて来ようかと思えたのか、行ってみたいと思えるのか。
自分自身に訊ねてみて欲しい。

あなたのご要望に沿ったぴったりの、そんな会は、あるかも知れないし、まったくないかも知れない。 

すべてに満点はないかも知れないけど、最大許容出来る部分、自分にプラスとなって、マイナスと感じない気がしたのならばまた参加するのもいいのではと思う。

話が合いそうな人が一人いるなと思えればラッキー、その方との交流を深めるというのも一つです。

元気な気が集まるばかりではない。介護中の方が集まっているんだもん。しんどさを見せない方も多いがみなさんやっぱり疲れていらっしゃるものです。 なので、人の「気」をもらいやすい人は参加するのはしんどいかも知れない。毎回出席して見て、その「気」をダイレクトに受け止めてしまってうまく流せない、疲れがたまる一方だと感じるならば、止めておいたらいいのでは、と私は思う。

なぜかというと、私自身が結構人の「気」をもらいやすいと感じているから。毎回定例会が終わるとぐったりすることが重なるので、いかに人の気に影響を受けずに自分を律するか〜は自分の課題だと思っている。

一時傾聴のボランティアに特養に入らせていただいたこともあるが、毎回丸ごと受け止めてしまって体が持たないので、お休みしている。介護者会、当事者会の支援者側にあるけれど、会への出席では毎回、自分をしゃんとさせてから関わるようにしている。

人が集まる場ですので、いろんなことがございます

実際参加してみると、色々な感想があると思うのです。
参加者が明るく元気になれるように工夫して欲しい要望があったとしても(あるだろうなあ)、運営側に余裕がなければ、それは簡単ではないのでありますの。(まあ代表として運営に関わっている面々の個性によります)

とにもかくにも有志の方々の前向きな姿勢と試行錯誤で会は成り立っています。

まったく介護をされたことのない方とお話をすると、どうしても理解してもらえない部分があり、もどかしく感じることも多いのではと思います。ですが、介護経験者の集っている会なので、その点はまだハードルは低い、介護中のあなたの心情を受け止めてもらえる確率は高い。

人間出来た人ばかりの集まりではない、ということを頭の片隅に置いていただいて、その上で参加してもらうと、まだダメージは少ないと思われます。
 

期待はせずとも、ちょとだけ期待

「あーたもっと当事者の会を宣伝せにゃいかんでしょう〜!」というお姉さま方お兄さま方の声が聞こえてきそうです。

ですが、まあ正直なところ、すみません、期待せずに参加するのが一番持って帰るものが多いようにわたしは思えます。 

世話人さんはボランティアの有志なので、力を出してもらえるだけありがたいのだ、という点があります。 なので会員さんが会の今後を真剣に思って(あるいは憂いて)、会の助言を感想を本音で言ってくれているかはわかりません。そんな人が多い会は良い会でしょう。意見が言いやすい会なのですから。そんなことがまったく言えない雰囲気が漂っている会だと、それはそれでしんどいかも知れません。

でもねえ、そのときそのときの定例会はとにもかくにもその時の最善なのです。

参加してみて、会に対してこうなったらいいのになあ、ああなったらいいのになあ、と少しでも思って、力を出せるかも、お役に立とうと思えたならば、どうぞお手伝いに入ってみてください。また違った見方が出来て、あなたの引き出しが増えるかも知れません。

参考はこちら。介護ライブラリに書きました記事です。

介護イラストレーター群青亜鉛 の「自宅で介護お助けヒント集」
介護家族会編

※ ばばばーっと思いついたまま書きなぐっております。とにかく出して、それから整理してるような感じですので、ようわからんと思われるかも知れません、ご容赦下さいませ。


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介護者の会や家族会、世話人さんとはこうあるべき、に縛られる

7月 19 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

介護者の会の運営に世話人さんとして関わっていると、それぞれの参加されている方の「価値観」を感じることが多い。

いきなりだが、一つあげてみる。

まめに施設に面会に行く家族介護者はすばらしいのだ、という価値観。それはその方が常に根底で思っていることであるからして、様々な言動に出てくるものである。

それには賛同しかねる自分がいる。面会に行く回数の多い少ないではなく、その時のその方が出した最善ならば、回数は関係なくそれでいいではないかそれぞれに事情があるのだからと。どう考えてもまめに行ける人と行けない人がいることぐらいは理解ができるからだ。

たまたま会の会員さんにまめに行く方が多かったとしても、それはその方々の選択なのであって、やみくもに素晴らしい〜、というのとはチョト違う。 

介護者が仕事を持っている持っていない、その背景、介護者が一人なのか多数なのか、キーマンが誰なのか、そしてやはり入居されている方との関係性もある。短絡的に、いいわるいを無理やり当てはめてその人を判断するのはいかんのではないかと思っちゃうのだ。

それをただ単に賛美すると、介護に行く家族はすばらしいのだ、まめにいけない家族はばってんなのだ、という意識にもなりかねない。それは違うんとチャウノン、なんてことをもやもよと振り返って自分は思うものだから、

世話人さんがその発言をしてどうなのだ?価値観の押し付けになるんじゃないか、と思うときもあったり、その一言でどなたかが大きなダメージを受ける場合もあるんじゃないかとハラハラしたり。頭は忙しいのだ。

自分を振り返ってみるとよく分かる様に、当事者会の世話人をしているからといえ、人格者になっちょるんか?いんやとっても良くできた人でもない。菩薩のような人が世話人をしているかというと、そうではないことは承知の上である、そのくせに続けていると、”世話人さんはこうあるべき”という訳知り顔の常識が自分の中にできていたりするからややこしい。

どんな価値観もありなスタンスだから否定するのは違うと思うし、糾弾するのももちろん異なる。みんなよかれと思っての発言である。「だからたちが悪い」と思う自分もいる。

交流会では毎回、毎回、いろんな価値観が交わる。そこで、いろんな思いが湧いてきて、嫌でも自分を振り返ることになる。「それは違うんちゃうのん〜?」と思うときがあっても、その方を受け止める。共感は出来なくても、その方の思いなのだと受け止めることは出来るとちかごろは思えるようになった。

うんちゃら なんちゃら とそんな風に うんにゃら 思って、
その時の発言は、それぞれの方の、その時の最善であるからして、それをよしとして次に進もうかいのう、と、毎回なんやかんやと思うのでありまする。

大我にはほど遠く、ちっちゃいちっちゃいことがいつも気になるもので、頭はとってもざわざわしていて忙しい。


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人間力、人としての魅力のあるなしで変わってくる

7月 18 2018 | 地域福祉 | コメントはこちらから |

ヤンキー座りでよっこいしょ

〜〜〜つらつらです。自分の備忘録みたいに書いているので、脈絡がないところも多いですが。本日は介護者の集い〜当事者の会に関してです〜〜〜

「今月の定例会、いい感じでしたね」

と社協の事務局担当の人と声をかけあうようになって何年になるのかなあ。

私が世話人さんをしているのは、介護者の集いである。高齢の方を介護している家族の集まりだ。
介護者の当事者が中心となった会で、あくまでも協力は社会福祉協議会(社協)。この社協(あるいは保健所等)が協力をしている形態の会は全国的に多いと思われます。セルフヘルプグループの一つでもあります。社協が協力しているという点で 当事者だけで成り立っている会と比べて、独自性は劣るのだそうです。

世話人さんと、社協での、仕事の分担はいつも気になるところでありますが、話し合いをしながら調整をしながら続いています。
会が創設されて17年ぐらいの間には、私が覚えているだけで6名ぐらいの職員さんが交替している。

一番開設当初の担当の人は7〜8年担当されていたか。その方とも気持ちのシェアをよくしていた覚えがある。今日は充実した会でしたね、とかちょっとした一言だけなのだけれど、今でも、定例会ではこれをしないと帰れない気がする。

しかしながら、世話人さん同士でこれが出来るか?というと、なかなか難しいことが長かった。

定例会が終わってからの少しの間の今日は良かったですね、とか、今日のはもっとここをよくしたら良かったですね、
等、私としては世話人さんと話したいよな、と思うのだが、何にせよ、デイサービスやショートステイから家族が帰ってくる等で迎えの準備もあるため、早く帰らないと行けないことも多く、即解散、でばばばーっと散ってしまう。

ここ最近は、その様相がだんだん変わってきた。介護の卒業者が増えたこともあるためか、会が終わった後に、集まって喫茶でお茶をしたりすることが増えた。わたしのなかではそれは結構理想の夢でもあったので、いつのまにか現実に実現していて嬉しかったこの春である。

ーーーーーーーーー
何ヶ月かに一度、今日はいい定例会やったなあ〜と思える日がある。(会員参加の定例会は月一開催です)

自己満足であるのかもしれないが、

お互い(世話人さん同士)がうまくフォローが出来た、とか、連携がうまくいったときのように思う。

毎回、出席者の中からは、どんな話が出てくるのかわからない。
進行を担当する人によっても変わってくるし、長い会員歴の方ばかりのときでもまた違う。新しい方が参加された場合でも異なる。

いい会だったなあ、と思える時はどんなかと振り返ると。
話したい方の場合はたくさん話されて、昔からの人も気持ちよく出席出来て(介護を卒業されてもいらっしゃったり)、話したくない方は無理に話さなくてもよく、新しい方が来られた場合は、その方を中心に話しを進めながら、アドバイスが欲しいとおっしゃる場合は意見交換もあり。タイムキープもしながら、(延長になることもあるが、アナウンスはうまくいれもって)それが全体的にバランスよく出来たときは参加された方々の表情も違うし、自分もおっシャーーーーーーーーっ、とOKサインが出る。
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介護まっただなかの当事者ではあるものの、会の良さは、そこにいる人にかかってくることを感じる。人間力にかかってくると言うのかな。

集っている人に人間的に魅力があれば、人は集まってくる気がする。

会いたいと思う人が居なければ、出席したってつまらないし、得られるものがない場合も離れていくだろうなあと思うのだ。

得られるものが介護の情報である場合もあるだろうし、話すことでのすっきり感を思う方もおられるだろう、これは大きい。体験談を参考にしたい方もおられるだろう。

介護保険スタートしてから出来た、発会当初に比べると、はるかに会員数は減っている。人が減っている減っていると、危機感がつのる。介護の相談窓口が増えたこと(地域包括運営センターしかり)
いろいろ原因はあるだろうが、地域の各地に集う場が増えたこと、ネットで相談したり、検索することにより選択肢が増えたこと、いろいろと原因はあるだろう。

外に原因を探すより、自分たちの言動、立ち振る舞いを静かに振り返るのが一番いいのではないかと私は思っている。

平日の昼の定例会である。この開催時間にも原因はあるかも知れない。

平日の昼に誰が出席出来るのだ?と思われるだろうか。そうだヨナあ、自分の知っている人は誘えないなあ、とわたしは思う。働いている人ならば、やはり土日の午後か、夜? 確かにそうなのだけれども、考えてみて欲しい。それをだれが主催するの?ということを。

開催側の中心が介護をしている当事者なので、その当事者が動きやすい時間に、会は開催されるのである。

土日の午後か夜?平日の夜に、なんでないの?と思われる方も多いだろう。単純だ、その時間に動ける人が居ないからではないか。

もしくは、そこまでしてやろうという意思のある人が居ないから、時間を作れる作ろうとする人がいないから。あるいは、継続出来るとは思えないからしない。そこには経費をかけられないからしない、出来ないというのもあるのかも知れない。
消耗するだけならば、誰もやらない。使命感がある人が先陣切って? 使命感はよほどでないと続かない。一発花火では力を持たない。一人だけではすぐ倒れる。身を削っては、消耗するだけだ。 皆、自分自身の呼吸を見ながら、細く長く、倒れないように、出来る範囲のことをしてはいると私は感じている。

昨年は、認知症介護者の会が、土曜日の午後の開催を行った。

その一回、イレギュラーの開催に、話し合いを重ねに重ねての実現である。告知ももちろん考えてである。イレギュラーの開催はそれだけ労力を要する。結果はもちろん、次開催するかどうかの資料となる。

日中勤める方にとって、夜の介護者の家族の会の開催はやってほしいと思っている人は多いと思う。煮詰まっている人は多いと思うのだ。介護のことを職場でおおっぴらに話が出来るかといえば、まだまだ難しいだろう。ちょっとでも話して何かの糸口をつかみたい、そんな方の話せる場。

希望は声をあげなければ実現はしない。

声をどこかに届けて見て欲しい。 ”ほんとうになんで夜にしてくれないのだ、私は仕事をしているから出られないじゃないか” と怒りが湧いてきたりするのであれば、あるいは、あなたが中心となって開催するかだ。

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わたしは今ある介護者家族会になんで関わってるのかなあと考えてみると、好きだからやっている、、、、とはとてもじゃないが言えない。 最初は言えたかも知れないが、続けていると変わってきた。 楽しいから参加か? そういうわけでもない。

結構、身もフタもない表現を全力で投げ掛けられることもあったりしたので、「あなたは言うだけ言って、すっきり忘れるからいいかも知れないが、あたしゃ何回たたいても大丈夫なサンドバックではないぞ、パンチはめり込むのじゃ。身はえぐれるのじゃ。」と思うこともかなり多い。 ”介護でしんどいのね、だから、そのしんどさを私たちは受け止めてあげなくっちゃ” なんて思うほどわたしの心は広くない。 

なんで世話人だからとて、痛めつけられながら無条件で受け止める必要があるだろう? こちらとて一般人だ。聖人君子でもない。カウンセラーでもない。うまく流す方法は知らんかったわよ。人としての礼儀と礼節は必要だ。それを持っている人となら、信頼関係は築けるが、それがない人とは勘弁である。介護をしているからといって、偉い訳ではない。何を言っても許されるのかといえばそうではなかろう。 と、思うことも多いのである。

そんなこともありながら、なんで関わっているのかなあと再度問えば、
関わる人から学ぶところが多いから、どうにか続けていられているのだとは思う。

一番の大きな理由は、”次の世代に引き継ぐために続けている”  少々大層な表現かもしれないがそんな気がしている。 そのためにまとめたり言葉にしたり。自分の頭の中を整理したり。何というのかなあ、ぶれないように、ちょっとづつ、真ん中を作るというのかなあ。
そのため、いろんな方が集っていただけるのが、ありがたい、いろんな考えを交わせるのが、ありがたい。そんなところです。

しかしながら、こういう当事者会の中心でがんばっている方々は、公の機関のヘルプがあろうがなかろうが、いつバーンアウトしてもおかしくないだろうなあ〜と実感として思うのです。あらら。


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猛暑は、日常を保つだけで大変。

7月 16 2018 | 日々日常 | コメントはこちらから |

連日の猛暑です、皆様 体力保てておられますでしょうか。

なかなか書き込み出来ずでした。

約一か月前の大阪高槻を震源地としました大阪北部地震、その後西日本での豪雨による災害、どれも他人事ではありません。短かったにしても地震の揺れや余震、テレビや新聞に映し出される雨が原因となる様々な様相は、23年前の阪神淡路大震災時を思い起こすことも多く、気持ちはざわめきます。

今回の災害によりお亡くなりになられた方々には、ご冥福をお祈り申し上げます。被災された皆様には、穏やかに心も体も気持ちも休まる日が少しでも早く訪れますよう様、お祈り申し上げます。ボランティアで入られている方々も含めて、皆様お体も、ハートも壊されぬようどうか大事になさってくださいませ。被害が拡大しないよう祈るばかりです。

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この連日の猛暑はきつい〜ご自宅で介護をなさっておられる方でなくとも、居るだけでも暑い。  室温の管理はもとより、環境を整えるのが大変やなあとぐったりとなります。この暑さの中では、衣食住、どれも命と直結する為、重要だと痛感、優先順位に迷ったりで、どれもがんばってしまいがちです。まあ、自分がそうなんですが、、、。

衣、、、衣服の洗濯、物干し、取り込み、仕舞うこと等。暑さを遮る衣服。風通しのいい衣服。汗も吸い取り発汗もするのが気持ちがいい。とはいえやっぱり体力勝負でございます。気分が悪くなったら洗濯も出来まへん。

食、、、食事の準備より先に来るのが買い出しです。買い出し一つにしても本当に体力を消耗いたします。欲しいものが行った先に必ずあるわけでもなかったり。夜に行けば、食材は残っておりませんし、朝は動けず昼は暑く、仕事をしていれば難しい。
買い出しだけで、くたくたですな。食事を作る、暑い、片づけ、やっぱりこれも体力勝負ヤン。

クーラーをきかせていても汗をかきます。 衣服も汗だくになります。脱ぎ着も必要です。 お世話をされている方ならば、お相手の排泄の失敗もあるかもしれません。 匂いも気になります。衛生面も気になります。 ご自身の体の調子を整えるだけでも大変ですのに、手助けが必要な方を目の前にして、どうしようもなくむなしくなってしまうこともあると思います。きっちりきっちりでは回っていかず、ええさじかげんを見つけていかんことにはどうしようもありません。

加えて住。住まいに関しては、この暑さを遮ろうとするだけでも大変です。クーラーを効かせすぎると体調に響いたり。かといって、使いたくないと作動させずでは、熱中症で意識を失うことにもなりかねません。

そうじも大事やし。おこたると肺やら、汗もほったらかしやと皮膚疾患やら、汗で出るからとトイレも回数少なくなると思いつくところでは膀胱炎にもなりかねず。あやややや。

一人だけで乗り切ろうとせずに、ためこまずにどなたかに、助けは求めてくださいませ。ぼやきもしてください。

介護のストレスや思いを誰にも話せず、もうどこにも言うところがなく、地元の社会福祉協議会に電話された方もいらっしゃるということを聞いたことも何度もあります。そしてようやく介護者の家族会に辿り着かれる方、いらっしゃる方もおられます。

どなたかと、つながりを作っていただいて、現状を乗り越えていただけたら、そんなふうに思います。あちこちに話が飛び、えらくまとまりはありませんが、また続きます。

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以下つらつらです。介護なさる方々の交流の場を作り続けるという支援、世話人さんで関わらせていただいて11年ぐらい?(また振り返ってみます)になります。

いろんな支援の形があると思っております。

ちょっと人のお手伝いを、、、とは言え、なんでもかんでもやってさしあげるというのはいいようでいて、ご本人(介護なさる方々)の力まで奪うことにもなりかねず。

手助けし過ぎて、ご本人が自分一人では何も出来ない様になってしまって、支援者を頼るばかりになってしまっては、もともこもないのではと感じることもありました。 

でも、正論で言うのは本当〜に簡単なのですが、その”ご本人の自立を促す手助け”(この場合のご本人とは介護者さんをさしております)は、出来る人もいれば出来ない人もおられるということが、最近ようやく腑に落ちてきた気がします。

自分自身も同様に、その方(支援する側)の生きてきた歴史が有るわけですから、得意不得意、意識できる意識できない、理解出来る出来ない、その方の持つ辞書の中にあるか、ないか。とってもとっても絡み合ってその人自身になる。

体丸ごと体当たりでのお手伝い。それはとても大切です。

ですが、自分はそれは出来ない。出来る人が出来るやり方で行う。

自分が続けられる と思える範囲のお手伝い。その一つとして、介護者当事者の会でのお手伝いをするわけですが、これはこれで簡単やないなあ〜自分に出来ることはなにかいなあ〜といつも自問自答しながらで。

今出来ることをするだけやんねえ、とむちゃむちゃふむふむと思う次第です。 


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何ヶ月かに一度、ああいい定例会だった、と思える日がある。

6月 28 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |


私の周囲におられる介護者の会((当事者(家族)の会。法人が運営する家族会とは異なる。有志と社協により運営。会費制。))の世話人さんの近頃のブームは別の介護者の会にも会員として参画すること、の様である。

ああ、楽しいわあと掛け持ちの方が増えた。聞いてみると、ご自身が世話人をしている会では、責任があるので、どうしても行動が縛られてしまう様子。

そのため、別の会には会員として関わり、のびのびと発言もするし、提言もするし、お手伝いもやりたいからやるのよ、のスタンスで動かれている。

世話人さんではなくとも、かけもちをする会員さんも増えた。

月に2回、心穏やかに話せる場がある、というのは大きい様子。片方は参加出来なくても、もう片方には出席できたり。

安心して話せる場、は、大切である。
信頼関係ももちろん必要だし、一朝一夕にとはいかない。

いろいろな会に出席することで、
会の良さを冷静に見つめることも出来る。

会のいいところ、疑問に思うところなど、
個人の感想が聞けるのはいい。

感想を好きに言うてもらい、
それを参考にさせていただきながらの運営。

辛口感想に、
言うだけはなんぼでも言えるんだよなあ〜。とも思ったりしながらも、
ほな、どうしていきましょかね、どうしていったらよろしいですかね。と問いかけながら進める。

受け身だけの参加もありだが、出せる人は、力も出しながら。

花火はぽーんとあげられても、継続するのが大変なんだよなあ、と、
なんだかいつも思いますのねん。
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「何ヶ月かに一回、ああ、いい定例会だったと思える日が来るんですよね。」

この間も、そんな会になり、じんわりああうれしくしみじみ。

世話人さんと話しをしていると、

「次月の定例会も、いいものにしていきましょう。」

と、嗚呼うれしや、キラキラな瞳。

なんやかんやと日々ありながらも、
一歩離れて観察すると、未だ青春か〜と思うような毎日なのかもしれない。

ああ、キラキラ。



【群青亜鉛:ぐんじょうあえん:イラストレーター

◆プロフィール◆
骨格大好きイラストレーター。高齢者介護の工夫やバリアフリーの住環境に精通した、くすっと笑えるイラストを得意としています。介護HPを立ち上げ21年目。腰痛持ちで整理下手なため、日常の体の動きと使うモノのサイズの関係が、近頃とっても気になります。
◆介護関連著書◆
介護のお助けマンガエッセイ
介護用具・日用品カスタマイズ本(共著)めでたく2冊とも、完売です。読みたい方は中古本でお願い申し上げます。


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