イラストレーター群青亜鉛が発信する明るく楽しい、イラスト満載のばあちゃん介護の体験と情報の日記です。介護の工夫。

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イラストレーター群青亜鉛が発信する明・楽・シビアなイラスト満載、孫によるいっちょかみ介護〜100歳ばあちゃん介護(祖母への介護)の体験と介護の情報です(2008 春〜)。使い易さの視点から介護器具〜バリアフリー、人の動作の分析等々まで幅広く書き込んでいます。
本編『 群青亜鉛のばあちゃん介護 』(1997年〜2008年初春)も併せてご覧下さい。
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心動かされた事しか書けないものだ〜パブリックコメント

1月 26 2012 | 日々日常 | コメントはココから |

gunjoaen

あーでもない、こーでもないと〆切りギリギリまで考えて、ついにパブリックコメントなるものを初めて市に提出した。「高齢者福祉・介護保険事業計画(素案)」に市民が意見提案をする、という行動である。身内だけでクレームを言うだけでは変わらんのだもの、次ナル動キヲ。出来る事があるのならば動いてみんことにゃ。

意見提案の為に素案を読み込むための勉強会をし、様々な人から助言や色々と知識を入れたものの、最終的には日頃自分がおかしいと思ったり、祖母の介護をしていて疑問に思った事や、人の事例を交えた意見に心底同感したりしたことしか言葉にできないのだと痛感した。 

ああしたほうがいいこうしたほうがいい、全体的に見ればこうなった方がいいのだと頭では理解していたが、それだけでは心動かされず、書き出す事は難しい。自分の言葉として形にならないものなのだな。

今回、自分はいろいろと言葉を紡ぎ出せる筆ぢからがないことがよくわかった。自分の力量が知れるわい、がっくりてなもんだが。いろいろな人に会い、話し、経験を積まないと、人の共感はともかく、自分の共感が得られないというのは大きな発見だった。自分が一番知っている〜♪ 自分が心動かされる事やひかれる事に、夢中になる、書き出す描き記すそれがいいように思えるなあ。

とにもかくにも、続けてみるか。

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足の裏で老化具合がわかる?

1月 20 2012 | 人の身体と動作 | コメントはココから |

足裏の筋肉度合いで老化をはかる??

足を動かさなくなった100歳祖母の足の裏は、ナンジャクモノな足である。ふにゃふにゃで筋肉なぞないんちゃうか、という様子をしている。しかし、人の事は言えない。自分の足を見てみろ、である。

近頃あまり歩かなくなった自分の足である。運動量が異常に減った。グッと握って確かめてみたが、弾力のない足裏で、足裏筋肉は少なくなっているのである。むむ?どこかで触った事のあるこの感触。
ああ、そうである。歩けなくなり、自分で自分の体重も支える事が出来なくなったばーちゃんの足だ。

こりゃいかん、と、足にスニーカーを履き、この間の日曜日から歩き始めた。こないに長い事歩いた事はないんではないか、というぐらい歩く。散歩だけでは目的がないので、近所のスターバックスまで歩く、とか、木曜日朝八時半には、マンガのモーニングが置いてあるコンビにに向かう、とか、どこぞに行く為に駅まで歩く、とかそんなんであるのだが。

まあ、何より、喜々とすることは、自分の体を自分の力で運べる事の嬉しさよ〜。寒いが歩けば温かくなる。なんとうれしい。たった五日だが、足の裏が変わって来た。少しは弾力が増した様に思う。

皆様、足の裏にはご注意下さい。足裏のクッションがなくなるというのは、異常に痩せて来たときか、運動をしなくなったか、いずれかのように思えます〜。

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17年ぶりに、やっとお礼が言えた。

1月 18 2012 | 震災・阪神淡路大震災での出来事 | コメントはココから |

震災時のお礼を伝える

昨年の夏。厳密に言うと、16年と半年ぶりに、阪神・淡路大震災時に無償で井戸水を供給して下さった家の方にやっとお礼が言えた。

震災時、電気はすぐに来たのだが、水とガスが復旧するまでに約40日かかった。それまでは、近所へ来た給水車が水の確保の源。大きなバケツを積んだカートをガラガラ押し、水をもらいに行きしのいだ。ポリタンクは親戚や友人が持って来てくれて大活躍。生活用水はお風呂に注ぎ、飲み水は、別の容器に移していたと思う。

けれどそれだけでは水は足りず、自邸の地下からお水が自然に出るお家があって、口コミであそこ水が出るから皆並んでるよ、と言われれば、並んで頂いていたのである。800メートル〜1000メートルぐらいカートをガラガラいわしながら頂きにいったかな。道はアスファルトだったけれど、あちこち亀裂が入り、隆起していたりでがたがただったんじゃないかな。たどりつくと水は蛇口から出ていて。別にそこで見守る人がいるわけでもなく、それぞれが自由に蛇口から出る地下水を頂いていたと思う。

確かそんな家が2軒あったと思うのだが。その家の人にお礼が言いたい、お礼をしたいとずっと思っていた。そして、昨年の3.11だ。あの出来事も後押しになった。でも、場所が確実でない。うろ覚えな記憶しかないのだ。

たまたま買い物で通りかかると、おそらくこのあたりだろうという家の前に家の人が出ていた。意を決して声を掛け尋ねてみた所、給水をして下さっていたのがまさしくその家だったとのこと。丁寧にお礼を伝えて、その場を去りました。 もう一軒は、建て替えたのか何か限定しずらく、こちらは分からずじまいでしたが。

でも一軒だけだったけれど、胸のつかえが取れた気がした。言えて、感謝の気持ちを伝える事が出来てよかった。ひとつ、気持ちに区切りが着いたかな。

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やかんの空焚き、鍋の空焚き、数知れず

1月 18 2012 | 日々日常 | コメントはココから |

電気ポット空焚きの行く末に
自動消火装置付きガスコンロ様に感謝である。約10年程前に実家より譲り受けた中古のガスコンロ。ゴトクを取り外すと、赤やベージュや黒の細い配線がコンロの芯(バーナーヘッドあるいは、バーナートップと呼ぶそうだ)に向かって成されている。このガスコンロ様に今まで何度助けられた事か。あら、と気がつくと、鍋の空焚き中、鍋の中が乾上がり、夏場のTシャツの背中のようにシオシオになっているのだ。

つい年末も、鍋の掛け忘れをする。ガスコンロ様がセンサーにて高温を察知、自動に消え、しばらくしてから気がついた事が2回。あまりのトホホさに、危機を感じた姉がデロンギの湯沸かしケトルを低価格にて譲ってくれた。いや、無理矢理使え、であったかと思う。

このデロンギ君はなんせ沸騰すると自動でスイッチが切れる。なんて賢いの♪ルックスも素敵。ずぼらなぐんじょ−にはぴったりである。

昔なつかしいアルミ製の電気ケトルは自動スイッチではなかった。この手でスイッチを消すまで通電したままだ。記憶している限りぐんじょーはこれでケトルを3つダメにした。一つは、阪神淡路大震災の時、夫の友人がわざわざ大量のカセットボンベと共に差し入れてくれた貴重なポットであったのに。昨日の1月17日、夫に改めて聞いてみた。夫は当時のバタバタで、そのポットの存在も知らなかったらしい。スミマせぬ夫に存在も知らせぬまま、おさらばえ。でありました。

ああ、通常のやかんは2つはダメにしている様に覚えています。なので、約2年前にはやかんを使う事をやめ、鍋で沸かす様になりました。ですが、どっちで沸かしても、失敗は変わりませんでした。

皆様、あまりにやかんを空焚きする事が多い人は、電気湯沸かしケトルをお薦めします。電気代が高くつく?いんや、火事になった時の事を考えると、いかほど安くありましょうか〜。火の元には、指差し確認、これが一番かも。こちらもお薦めします。

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ここが変!と貴方が熱く語れる箇所が、貴方にしか語れない介護なのよ。

1月 17 2012 | 介護全般 | コメントはココから |

ふむ。私たちを取り巻く現在行われている介護や医療に対してもの申すを思う箇所は、それぞれ皆違うのだな、と改めて思った次第。本日は介護家族会の世話人や、地域福祉活動に力を注ぐ方、認知症予防に東奔西走する等それぞれ志を持った地元の有志が集まり、学習会&意見交換会を行う。

今回は、ぐんじょうの住む市の、「高齢者福祉・介護保険事業計画(素案)」に市民である有志が、意見提案をするための、素案の読み込み勉強会、である。この計画はこの4月から新年度。3年それをベースに市制がなされる大事な根本の計画に意見をちょうだいね、というものである。

100ページ弱の素案には、概要版と、計画書の素案が一緒になっている。概要版の項目にそって、素案を読んで行くと、おおざっぱには内容が入って来るようだ。自分のくせのある読み進め方(ただ、最初から棒読みする読み方〜)と異なる導きをして下さったので、また別の見方が出来、スムーズに行くので、大変ありがたい。

約1週間では声かけ出来る範囲が決まっていて、今回数人だけの参加ではあったが、短時間で密度の濃い話し合いが出来たと思う。有志はそれぞれ、素案に対し気になる部分が異なる。

読み込んで行くうちに、皆それぞれが口々に語り始める。熱く語れる部分がその人の気になる部分であり、その人にしか語れない部分。なので、「貴方はそこが書けるよね、貴方はそこの問題点を詳しく掘り下げられるよね、じゃ、そこを自分の言葉で書いて、市に提出ね。」と、それぞれ意見提案出来る内容をその人自身に気付いてもらい、行動の後押しをする、という流れで進んで行ったように思う。

「いやあ、こんなのは、あまりにも個別集中攻撃すぎるのでは?」と躊躇する内容には、別の見方考え方を気付いた人が提示し、こちら方面の理由から来た提案ならばお役所も考えてみようかと思えるのでは?行動に移し易いのでは?と、お役所の体制を非難するだけには決してせず、受け入れてもらいやすい表現も考え、お互いに提案をし合う。

パブリックコメントの〆切りから約1ヶ月〜一ヶ月半後?ぐらいに、最終的な策定委員会(第五回目)が開かれる。私もパブリックコメントの形にして提出し、第五回目の策定委員会も傍聴したいと思っている。

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これで行けるんちゃうん?と思ってしまうお役所文章

1月 16 2012 | 介護全般 | コメントはココから |

さっぱりわかりまへん
「高齢者福祉計画・介護保険事業計画(素案)」なるものへ意見を寄せたいと思い、今その素案を読み込んでいる最中である。と言えば聞こえはいいが読み込むまでには行けず、まだ100ページ弱の素案の表面をなぜているだけという気がする。頭に入って来ないや。

介護保険がはじまって12年が経とうとしている。それ以降、皆さんがお住まいの各地市町村では、おそらく3年ごとに、「高齢者福祉計画・介護保険事業計画」が練り直され、変わって行っている事と思います。この計画を作るにあたって、毎期、計画策定委員会が設置され、その中で話し合いがなされ、市町村民に策定案を「これでどないでっしゃろ?意見ありませんか?」と投げかけられ(パブリックコメント)。意見に対しての応答は、各地市町村の広報誌や、ホームページによりなされる。そして、その意見を反映させ、計画案が決まり、新年度よりスタートする。 

約10年前の介護家族会の会報誌にも、この内容が載せられており、家族会の会長が策定委員会の委員に選出されている旨記載されていることに今日読み返してみて気が付く。たいがい長いこの漢字ばかりの名前はすっ飛ばして読んでいた。長いんだもん。でもわかりやすい名前にされると余計にわからないが。(ハッピープラン♪なんてのになると理解する手がかりなくなり余計に困る)

この素案。読んでいると、なんだか、このままいくと上手く行くのではと思わせる様な感じなのだが、どうにも具体性に欠ける感じがする。
使われていることばはこんなのが多い。

支援を行って行きます。
機会・場作りを推進します。
体制整備や運営の支援等を行って行きます。
適切な支援を行って行きます。
協議内容を各団体に反映して行く仕組みづくりを進めます。
養成や活動支援などのシステムの構築を進めます。
必要な援助を実施して行きます。
推進をめざします。
情報提供を積極的に行って行きます。
取り組みを強化します。
場作りを身近な地域で進めます。
負担を少しでも軽減出来る様な支援をめざします。
相互扶助の促進に務めます。
活動周知の機会拡充を測って行きます。
〜の連携を行って行きます。

発掘や養成に務めます。
憩いの場・活動の場の確保に努めます。
周知・啓発に務めます。
ネットワークの構築を推進します。
体制整備や運営の支援等を行っていきます。

〜具体的に何を、どんな事をさすのか?

今どんな事が問題になっているのか、で、前回はどうで、この3年間はどんなことを重点的に変革し、こんな風な状況だから、こんどはこうなりました。
という経過が把握出来ていないから、読んでも右から左にスルーなのね。うーん。来週の月曜日が、意見提出の〆切りなんだけど、出来るかしらん。いやいや、やってみよう。

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介護家族会(自助グループ)の会報誌の役割とは

1月 13 2012 | 介護者の会・介護家族会 | コメントはココから |

歯の水枕
群青が介護をしている家族として、介護家族会に参加するようになって10年位になる。今は世話人の一人としても力を出させて頂いているが、その10年の間自分の環境もいろいろと変わっている。会にまったく関われない時期もあれば、まめに関われる時期、大きくわけると2つである。

会に対する気持ちも近くなったり離れたり、もうやめようかしらん?と思った時期もある。でもどんな時でも定期的に必ず届く会報誌、これでどうにか繋がっておられた気がする。貴重な情報元、であるが、気持ちを繋げる元でもあるように思う。

問題意識の強い時は、関わりが強くなる。実際に在宅介護している最中がそうだった。介護サービスを出来るだけ使っての介護では、憤慨した事、困った事、施設のあり方、姿勢等。おかしいと思う事はいくらでもあって、毎日ハプニングの連続だった。

この頃は乾き切ったスポンジ状態なので、介護家族会から得られる事の吸収率が200%である。加えてその現状を乗り越える術は、家族会から得るだけでなく、ネットの掲示板等を活用して、介護中の悩みを出し、数多くの方からの回答を元に教わった。

特別養護老人ホームに祖母が入所出来ても、介護は終わりにはならない。その施設とのコミュニケーションがなかなか難しく思えて、トラブルがあったり、疑問を感じる出来事があれば、一人では解決策が見つからないので、気持ちはまた家族会に向く。現状の解決には、やはり自分の住んでいる地域の生の情報が一番参考になるのだ。

もうやめようかと思った時期というのは、つい最近だ。家族会で介護真っ最中の方に一時でも肩の荷を下ろしてもらったり、ほっとしてもらう事に力を尽くしはするのだが、その繰り返し、それだけに自分のエネルギーを使う事が不毛に思えて来てしまったのだ・・・。もっと大元(行政?)に問題意識を反映させなくちゃ、根本が変わらないし、自分のエネルギーが過呼吸を起こす感じなのである。

で、意識をちょっと変えてみて、色々な人の意見を聞く様になった。人様の力を借りたい、借りようと思える様になると、次ナル道が見えてくるものである。

この問題意識のあるうちに、その意識や思いを制度に反映させられるような仕組みが介護家族会にも必要だと思うなあ。 そうじゃなきゃ、せっかく問題意識を持った人がどんどん離れて行ってしまう。それさえ整っていれば、思う事を吐き出すことでその時はすっきりするのだがその場限りやんなあ、、、、と不毛に思うことを防ぐ事が出来ると思う。せっかくの介護経験者のエネルギーを社会に活かす事が出来ると思うのだ。

もちろん、吐露してすっきりする事も気持ちを切り替える為にもとても大事なことなのである。でも、その次ステップに力を貸したいのに、どうしたらいいんだろうここではないのかな?と気持ちがざわめくのである。

と、なんだかどんどん書き連ねてしまったが。

私はこの接点を活かして、多くの人と繋がり自分の経験を社会に活かしたい還元したい〜、そう素直に思える様になった今日この頃。でも無理すると壊れるので、ぼっちぼっちでおっちらおっちら、なんであります。

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市へ物申す?パブリックコメントを出す為の勉強会

1月 12 2012 | 介護者の会・介護家族会 | コメントはココから |

学習会への案内文を打つ
学習会への案内文を打つ本日。結局やったことしか書けないのですよね。ぐんじょーの関わる介護家族会も設立してからもう10年が経つ。ちょうど変わり目に来ているような気がしている。本日はその会員さんに向けて、少人数の有志で学習会・意見交換会をします〜興味がある方はどうぞ、の案内文を作成した

外に出ていたので、朝から携帯でピコピコ打ち作る。さあ、送るぞ、と思った時ニャ、ボタン押し間違えクリアとしてしまい、ああ、全文パア。である。再度トライ。2時には送信。で、へろへろとなる一日でありましたが・・・・さて

タイトルにある、パブリックコメントとは、計画などの案の段階で内容などを公表し、市民の皆さんの意見を募集するもの・・・

現在、ぐんじょーの住んでいる市が、”高齢者福祉計画・介護保険事業計画へのパブリックコメント” を募集しているので、はじめてこれを出してみようとしています。(おそらく全国的に行われていると思われる)。少人数の有志で近々勉強会&意見交換会を行う事になったのだが、それはもっとわかりやすく説明すると、”高齢者福祉計画・介護保険事業計画(素案)へのパブリックコメントを出そうとする人・興味を持つ人、の集まる勉強会・意見交換会”だ。

ぐんじょーの住まう市のパブリックコメント、は募集期間が短くたったの一ヶ月である。(どこでもそんなものか?)新年度から新しくスタートせにゃならんので、しかたがないかといえばそうなのだが、100ページ弱の素案を一人で読み込むのにはかなり無理がある。

介護中の人が、現状の不満や問題を述べるのはすぐ言えるのだが、全体的に見たとき、根本的にどんな事が問題なのか?はわかりずらい。全体像は、様々な人からのお話を聞かないと見えて来ないからだ。全体的な問題はどんなのかが分かった上で、細かい政策について述べる事が出来ると思うのだが、介護は内容があまりにも大きすぎて漠然としすぎる感がある。

ので、それを学んでみようとしている最中なのである。

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介護施設でみてもらう事と、在宅で介護する事の違い。

1月 11 2012 | 介護全般 | コメントはココから |

情報の共有が大事なのね
昨年を振り返って思う事。

施設での介護は、たとえ介護の方法で、スーパー素晴らしい!正解があったとしても、一人だけが出来る方法ではだめなのですよね。入所者さんに関わるスタッフ全員が出来る様なものでないとあまり意味がないというのか・・・。 家族が、こっちの方がぜったいいいのに!と思っても、それがスタッフ全員が共有できるものでない場合は取り入れる事は難しい。。。それを実感出来た一年だった様に思えます。

そこが家族だけで在宅で看ることと、施設にお願いする事の違いのような気がしています。在宅でもいろいろな人を交えて介護する場合は共通点がありますが。( うーむ、これは組織と個人、なーんだか何にでも言える事かもしれません。なんでも同じか。)

昨年は、祖母の車椅子のシーティングで、一年間バタコラ・バタコラ、えっさっさー、という様子で、祖母入所する特別養護老人ホームに時々な参上。で施設では、施設のスタッフさんの間で情報を共有するっていうのが一番のポイントで大事なことなのかしら〜と感じた次第。

でも、家族は何も出来なくておまかせしますな姿勢でいなくちゃいけないか、といえばそうでもなく。

こんなんはどうでしょ?あんなんはどうでしょ?と、いろいろな家族の視線でしか施設に提案出来ない事もある。それは家族だから出来る提案であって、職員さんの目線とは異なる。全部取り入れてもらうことは難しいとしても、何分の一かは、案として、取り入れてもらえるかもしれない。

そのやり取りが、楽しめる位になれると、一番良いのかな。(意味合い散漫、失礼。)

なんだか、少々猪突猛進ぎみに昨年、祖母のシーティングに対して、外部の理学療法士さんを連れて来て、強行突破的な事を行ったので、その上で、こんな事を、感じた、次第。

なんやかんやがありながらも、ぐずぐず言うのもありです。泣き言を言うのも、ありです。助けて〜の声をあげながら、体も心も壊さぬように、ぼっちぼっち、おっちらおっちら、今を切り抜けて頂けたら、と思います。

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介護を終えると鬱となる?

1月 10 2012 | 介護者の会・介護家族会 | コメントはココから |

声の掛け合い
どうしてはるんだろうな〜。

明るい声をフト思い出し、介護者の会の会員の方に年賀状を出した。在宅で、ずっとご主人のお母様を見ておられた方である。今になって、その方の大変さがわかるのだが、お話を伺っていた約10年位前は、ぐんじょうは自分ごとに必死で祖母の介護でもトラブル続出の日々。人の介護のお話は聞いているようで聞いてなかったのだと思いおこされる。

在宅介護者の会の会員も、介護を卒業されてから顔を見ない方もいる。いつの間にか辞められている事もある。どうしていはるのかな〜と気になる所だが、電話は一方的すぎるので気をつかってしまい出来ない性分の群青である。そうだねハガキならいいか、と最近思う様になった。

顔を出せない会員さんへの様子伺いも必要だなあと感じる。電話連絡等もやったらいいなあ、とは思えども、会としてやると義務となってしまいなんだか気持ちが重たくなるので、皆の自主性にまかせている感じだとわたしは解釈している。

なんだって人に言われているうちはわからんものだ。やらされ感のあるうちは、心が伴っていないや。自分の中からぽこっと、気持ちが湧き上がってこそ、やっと腑に落ちる。

介護を終えた方に伺うと、しばらくの間、ぼーっと放心状態あるいは、鬱のようになるとおっしゃる。何をするのもおっくうで、と言う事も聞いたりする。ちょいちょいちょいっと声をかけ続けていて、また気が向いたら交流会にでも出て来て下さいねと伝える。

タイミングがうまく会えば、重い腰があがり、また出会え、笑顔がこぼれる。ふっとしたそんな声かけは、かするかかすらないか位のさらりとした一瞬だ。でも、結構印象に残っていたりする。忘れた頃に、何かの拍子で思い出されたりして。

ふと気が向いたので来ました、と久しぶりに参加して下さった時は、うれしい。ぽこ、ぽこと、声は掛け続けるのが、いいのだなあ。出来る事をおっちらおっちら。ぼっちぼっちと、ね。

本日は、ぼそぼそと思いつくままに。

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