イラストレーター群青亜鉛が発信する、104歳おばあちゃん介護のイラストエッセイ。介護の工夫と次の一歩。

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gunjoaen_smile孫による いっちょかみ介護・104歳ばあちゃんへの介護いろいろ。明・楽・シビアなイラストエッセイ。身体を守る介護福祉器具〜人の動作〜コミュニケーション〜介護家族会〜などなど。過去記事一覧
本編『 群青亜鉛のばあちゃん介護 』(’97〜’08年)も併せてご覧下さい。
* 掲載イラスト・文章の無断使用はご遠慮下さい。 *



お初な胃カメラ

10月 15 2018 | 介護全般, 病院・お医者さん | コメントはこちらから |


(今日は短し。540文字だ。)

ああストレスか。このストレスは大体検討がつく。
胃がいままで生きてきた中で、いちばあん やけにイタいので、胃カメラ飲んだ。

病院の予約より30分早く着くと、30分早く始まった。

終わって 最後に『上手でしたよー』って看護師さんが声を掛けてくれたが、
なにが上手なんかさっぱりわからん。
拷問じゃねーかよううー、と思う。
ーーーーーーーーー
ベッドに上むいて横になって、麻酔するのではなく、麻酔のジェルクスリ?を喉に含んでしばらく置いてから飲み込んで横に向いて、マウスピースみたいなものを口にくわえて、黒い細くてながーい胃カメラを喉に突っ込まれる。舐めてましたよ。

ゲボゲボゲボで入ってすぐにもう嫌だ〜と思う≈。最後まで耐えられるとは思えないぐらい弱気になる。

呼吸は 鼻から吸って口から吐いて下さいね♪っておっしゃいますが、
喉の管のほとんどは胃カメラで埋まってるから、
どこから息が吐けるわけだ?漏れるって感じかい?とか思いながらで

目から涙でるし ぐええええとむせるし ゲボゲボ ゴホゴホ ぐえーで
なんてったって その姿を看護師さんと操作する先生に見られているのがなんともイヤーな気持ちである。

ほんまにこれは 死ぬかと思った。

次回する時は麻酔にしよう。

あ、結果、胃は綺麗だったようです。


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ただ、職員さんに訊ねればいいだけなのだが。 洗濯物回収場所はどこ?

10月 09 2018 | 高齢者介護施設 | コメントはこちらから |

眉間のしわをのばしますのイメージ-gunjoaen本日700文字。即読めますな。1分半位でしょうか。いらっしゃいませ。

オット母方ばあちゃん、100歳。特養入居中である。ヨメぐんじょうあえんの役割は、オット母様の 通い介護のぼんぼんぼやきをぼやぼや聞くことと勝手に思っている。

既に入居してから何年か経っている。

私は毎回、答えている。

”おかーさまの悩みを解消するのに、解決策はただひとつ。スタッフに、洗濯物を出す場所を訊ねるだけだ。”

それは未だに実行されないままでありまする。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

汚れた衣服が先日行ったときのまんま、まだ同じところに置いてあった。

ずっと同じ衣服を着せられたままのように感じる。着替えさせてくれないのだろうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
うちのばーちゃんが入居していたときも、衣服について、結構母がぼやいていたので、オットおかーさまの言うことは充分理解が出来る。

「おかーさま、施設には、汚れた衣服を回収する、カゴの置き場が必ずあるはずですのねん。その場所を職員さんに訊ねて、洗たくして欲しい衣服を放り込むだけで解消すると思うんですねんけんど、いかが?」

解決されない気持ちのくすぶりは、延々オールリピート、オールリバース。なのでわたしは聞くことにくたびれ果て、聞き流すようになってしまった。(四◇四)もうかれこれ 5年は経っている。ぼやきの内容は殆ど覚えなくなった気がいたします。

まったく行動に移されないのは、やはり何か理由があるのであろう。

「亜鉛ちゃん、聞いてんの?また寝てるわ」

すぐ寝るヨメ、すぐものを忘れるヨメ、としての地位は不動のものとなり。オット母上様のお悩みは、まだまだ解決しそうにありまへん。


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身内が入居していた施設を悪く言われると腹が立つのだよ

10月 06 2018 | 高齢者介護施設 | コメントはこちらから |

過去、祖母が入居していた特別養護老人ホーム。
そりゃ長所もあれば、マイナス面もあるだろう。

預けている家族は、長く通っていると、なんとなあくは様子を把握していくものでございます。

そんなもろもろをなんとなあく分かった上で、じゃあ、そのおや?と思うところをどうしていったらいいかいねえ と考えて
自分たちが出せる力も考えながらの最善を探すわけです。出来るところの全力を出す。

それの十数年間。

間接的に知っている知人が、自分自身の身内をお願いしているわけでもないのに、人から聞いた評判なども含めて、勝手に解釈して
あそこはねえ、、、と知ったかぶりして思わせぶりに語るのを聞くと、本当にむっとするのだ。

その施設を少しでもいい環境にしたいよねえ、と、施設が運営する家族会にも関わり、意見を出しあい、母と共に力を出してきた自負もある自分であるものだから、たとえばちょっとなにかで関わったとか、なんとかのつながりだけで第三者に知ったかぶりされるのは、気持ちのいいものではない。

あるいは、重箱の隅つつきのようにされるのも、げんなりするのである。お願いだ止めてくれ、もういいってば、私にはもう何も出来ないのだからと思うのだ。

そりゃ、どこでもいろいろあるだろう。そして祖母が亡くなってからかなり経つ。中の様子も変わっているかも知れないし 変わっていないのかも知れない。

入居者さんのご家族も、知識のあるなし、等でものすごく感じ方には差があるものだ。ご家族のコミュニケーション力、もちろんスタッフさんのコミュニケーション力にもよるかも知れない。求めるものも違うだろう。そして、入居される方のお体の状態や、心の状態も様々である。だから一概にいい、といっていたり不満があったりなどしてもそれをすべて真に受けるのは違うと私は思っている。

だから、知人が えらぶって知ったかぶりして、あそこはねえ、なんて訳知り顔で、話をしていたりしていると、あっかんべーーーーーーーって思うのだ。

今までの経験で、その知人には、でもかみつくだけ、消耗して、時間の無駄なのをもう理解している。

だから、ふんっ、と思うのだ。本当に、ふんっっっ。である。


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当事者会の運営、どうすりゃいいのさ。

10月 05 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

かふんふんふん

どうすりゃいいのさ?秋も花粉ふんふんである。嗚呼、鼻が乾燥するわい。(本日1000文字。さらりと読めます♪)

さて。当事者会に世話人さんで関わるようになって、どうすりゃいいのさ?と思うことばかりである。

とは言っても、社協さんの協力があるので、自発的に当事者だけで立ち上げた会とは趣がちょと異なる。ゆるーいのかもしれない。

まったくゼロからの立ち上げは、発会当初の世話人さん(当時は役員さんと呼ばれていた様子)が担ってくださったので、ありがたいことに土台は出来上がっている。会則もある。

会長さんは代替わりで、現在は3代目。発会当初の世話人さんは会員として残って下さっていても、世話人としてはもうおられない。

主体はあくまでも介護者なので、社協が導いていくのとも違う。どんな会にしていったらいいのかは、世話人間で意見を出し合いながら、会員さんにアンケートで訊ねながら、ちょっとずつちょっとずつ思うことを言葉にもしていきながら、形になっていく。

介護保険が施行され、会が出来た年にわたしは入会した。年齢的には一番下ですが、在籍年数は世話人さんの中では最長老組にであります。介護でも精いっぱいなのに、人様の手助けをすることにもなる世話人さんは、年齢を重ねられると、ご自分の体調も不安定である。逆に遠慮して、お互いが話せなくなると言うこともある。

関わるようになって困ったことが、何を参考にしたらいいのかわからん、ということだった。お手本がない。”なんか変よねえ”と思っても、それがどう変なのか、私は何を基準に「変」に感じるのかが皆目掴めないというわからなさ加減なのだ。

仕事で利益を得る人たちの集まりではないし、自分の意思で来た人ばかりの集まりである。 とにかく分からないことばかりだった。

そんなときに、セルフグループサポートセンターというのがあるということを知った。こことの出会いや関わりは暗中模索の中に、光を感じたぐらいである。(直接的な関わりというよりも、このことを記した書籍から、力をもらっているという感じだ)

当事者の家族会は、セルフヘルプグループとも言う。自分たちの力で自分たちを助ける。かな。

介護サービスはいくら使える様になっても、心のざわめきはなかなか整理がつかなかったりする。人に言うてもどうにもならんぶつぶつのぼやきは、自分の考えを整理して、次に進むきっかけになることを介護者会にはいってから理解できるようになった。人のお助けを借りようと思えるきっかけになったりもするし(それが自立というのかもしれない〜)学びが多いと思っている。

今日は短し、つづきはまた今度〜。


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当事者会での関係性〜当事者(介護している本人)が中心の運営は

10月 03 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

いらっしゃいませ。本日の文字数1450文字。長いです。読もうと思われる奇特な方、以下、どうぞ〜。

運営側が誰かによって会の性質は異なる

私が関わっておりますのは、高齢の介護を必要とされている方を介護しているご家族が集まっている会 であります。
一概に介護している人の家族会といっても、中心となる人が専門職の方々が中心の場合と、当事者が中心の場合では、性質はまったく異なるのであります。ので、全部をいっしょくたにしては語ることは出来ましぇん。

考えたときに思い浮かぶのが「対等」さ。当事者が中心となって運営する会は、会員皆さんとの関係は対当なのであります。上下はないです。

運営に力を出す世話人と、参加者は対等な関係

介護をしている家族は、別に、特別なものではない。介護に関わるのが日常。大変な様々に出会うこともあるのだが、極端な表現をするとそれは哀れまれる存在でもないはず。そして、強いて言えば、助けられるべき存在でもない気がしている。専門職の方々には、自分たちで解決していくのをちょっと離れて見守っていて欲しい、溺れてヘルプ!と助けを呼んだらちょっと助けてもらえるとありがたい。

一人だけで背負って介護をしている方の場合だと、目の前の介護を必要とする人しか見えない。自分一人あるいは他の人がどう介護をしているのかをまったく知らない場合はどうしたらいいのか選びようがない。考えつく選択肢が全くないと行き詰まるのだ。そこの工夫を現在進行形介護中の方々から直接聞くと、自分の中の介護の思い描ける範囲が増え、どうしていったらいいかのイメージが広がり 選ぶことが出来るようになったりする。介護中の方から聞く工夫は専門職の方から聞くよりも、説得力があり、腑に落ちたりするのである。

たまに、助けたがりの方がいらっしゃいます

大昔に、当事者会に ボランティアをして人助けをして人を支えるのが大好き、と思える方がいらっしゃった。 結果的に、当事者会ってなんだろう?と考えを深めることにつながった出来事を以下に。

初参加のその方は、ご自身の行いでこれだけ人に感謝をされました、という経験談を延々と語られ、私の助けが欲しい方は是非〜と自己アピールをされた(ような覚えがある)。

その時の私たち出席者が持つ違和感は相当なもの。なぜここに来られたのかが理解出来ないとわたしは感じた。自分たちの足で立って、自分たちで考え、自分の力で前に進んでいこうとしている 自分の中に既にある力のようなものを理解されていないようでありました。(自分だけではなく、人のお力も借りつつであります)

毎回自分が何を期待してきているのかが分かる。

自己満足の対象に、私たちが使われる?

いやそないに、全力で助けます〜と来られても困るのだ。あなたの自己満足に、私らを使わんでくれ。ボランティアで全力で入られて、あなたがいなくなったときに、その助けてもらった人が何も考えられなくなったり、何も出来なくなったらまた困るのだ。緊急な場合はまた別だが。どう責任取ってくれるんだい、てなもんである。 

わたしらは 最終的には 会の中でいろんな交流を通して、自分で話す、人の話を聞く事により、気付き、自分で考えて、自分で行動し またどうしたらいいかを考える様になり、人の力も借りていいんだなあと思えたりするような気がする。自然と、自分の足で立てるようになっていて、それは尊いものである。 自分一人で全部やるのは無理なのだと気付くのもそうだし、しんどい自分を「しんどいよねぇ」と認められたり、必要だと感じると人に助けてーと言えるようになったり。(それがなかなか言えなかったりもするのですが)。

そうそうたくましく生き抜くためのお知恵を、ここから頂いているような気がするのである。

あら、ちょっとタイトルからえらくはずれた気がするわ〜。
専門職が中心の場合はどんななんだのお話は、またいずれ〜。


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他人事ではない自分ごととしての災害対応。避難グッズ話、認知症介護者会

10月 02 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

そんなこんなのあれこれがありつつ、先日は、会員である認知症介護者会に出席。
2つの介護の家族会(当事者の会)に関わっているので、どうにかバランスを保てているのかなとも思う。片方は世話人として。もう片方は、一般会員として、である。

先日の定例会でのイスの配置はアイランド形式でありました。島型と呼ばれ、部屋の中に島をいくつか作る形式です。

ロの字にテーブルを並べるのが通常ですが、ロの字型では、人数が多くなると人との人の距離が離れすぎで、
家族会の場合はどうかなと思うことがあるのです。今回は、よくある3人が並んで座れる会議用テーブルを、向かい合わせに4コ並べる×2ヶ所 のアイランド形式でした。この日は特にテーマはなく、それぞれが思うことを話し情報交換する日でした。

どこに座るかは結構大事だと感じています。初めて来られた方のお隣には、世話人さんが配慮され、お話を親身になって聞ける方にさりげなく座ってもらうことが多い様子。当事者会ではどの会にも適任者がおられる様に感じます。今回はその適任だわ〜と思う方は離れて座られ、私が隣に座らせて頂くこととなりました。話すうちに、その男性は初めてではなく、間をあけながも何度かいらして下さっている方だということが分かりました。

お声掛けするのは、私は得意ではない。言葉ひとつひとつ選びながらで慎重になりすぎるのだ。逆に回りくどい表現となり、相手に届かないこともたびたびだ。気を使いすぎの対応は、相手にこの人は何が言いたいのだ?と少々疑問や不信感を抱かせてしまうこともよくある気がしている。 

ですが、当事者会ではマンツーマンで話すわけではなく、参加者お一人お一人が体験談も交えながらのお話となります。介護で悩む様々も、その方は気持ちよく話すことが出来た様子。そしてみなさんのお話からいいところもうまく取り入れられた様子。散会後にお訊ねすると「いやあ来て良かったです。いいお話が聞けました。」晴れやかな表情をされていた。このとき言葉だけを受け止めると違うこともあり、帰られるときの表情や様子は丁寧に見守ることが多い〜。出来ないことも多々ありますが。

今回は、そのいつもの適任の方が離れて座られたこともあり、普段は受け身で関わることが多かった私なのだが、まだよくは存じ上げない介護中の方の側に座る事で、学ばせていただくことが多かった。

台風21号の停電で困ったこととしては、、、
在宅介護中の方は、電動ベッドの昇降も背もたれの角度替えも出来なかった。が上げられた。
昔よく見られた病院の手動式ベッド、レバーをくるくる回して昇降、角度替えする型だ。電動と手動、両方の機能があるものがいいと。

加えて私は来たる台風24号に備えて、当日の午前中、ホームセンターで避難グッズの補給の購入をかなりしたため、大型レジ袋に満タンの避難グッズ×3袋をそのまま持参していた。 せっかくなのでテーブルの上に広げて、皆さんに紹介とともに台風時のことも語らせていただき、ああすっきり〜。

避難グッズは、ネットやテレビ画像等で見るだけではイメージがしにくい。実物を手に取って見てもらうと分かりやすいのですな。 テーブルで回していくと、へー、ほう〜、はあ〜と触りながら説明読みながら、実生活とそのグッズを皆さんが照らし合わせることが出来る利点があると感じました。

最初は自分のテーブルでのみでしたが、皆にみせてほしいとの要望で、なんやかんやと全員にグッズを見てもらうこととなり話しっぱなしとなり。

昨日記したような自治会での疑問も、ケアマネさんとの会話には入れ込みながら(包括支援センターは、お困りごとの窓口なので、頭の片隅にでもあれば何がお役に立つかもと) 他人事ではない自分ごととしての災害対応を〜と力説。大きな声も出せたので、ほどよい疲れ加減になり、心が落ち着くことが出来ました。

はあ、やはり、声が出せる場、は大事ですねえ〜。皆さんもうまい具合に発散(?)出来る相性のいい場を見つけて表現してみてくださいまし〜。

(※ちかごろは、書くことが沢山あり 書くほうに重点を置いていて、イラストをくっつけられていません〜)


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避難するのも罪悪感。どこから情報得たらいいのよ、の困惑とか

10月 01 2018 | 地域福祉 | コメントはこちらから |

台風24号で被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。一日も早く、なんでもない穏やかな日常をおくることが出来ますよう、心より祈るばかりです。

9月に発生した台風21号では、怖い思いをしました。本日はそのときの心模様を少し。加えて、その台風情報が得られるかと思って出席した地域の自治会での「?」はてな な思いも。イラストなく、つれづれと3800文字!長いので、それでも読もうと思われた方のみお付き合いくださいませ。

介護中の方というよりも、介護が終わっての方必見?の、避難に関する内容です。周囲への気付きや 近隣とのつながりや 手助けに関しての内容も多く含んでいます。


振り返ってみました。

避難するのも罪悪感が

台風21号の進路のまっただ中にあり、台風が通り過ぎるのをただただ待つだけの時、住んでいる地域に、「避難勧告」が出た。暴風と共に雨も強くなり、停電になった。自宅アトリエパソコン前で仕事をしていたが、昼だが雨戸を閉め切っていたこともあり真っ暗だ。オットは仕事でおらず、一人である。心配した姉が車を走らせてくれ、それに乗り安全な場所へ避難をした。

その途中、豪雨の中、町内のおねえさまに出会い、「群青さ〜ん避難場所に行くの〜?」と問われ、「いえ家族のところに行きます〜!」「気をつけてねー」とやり取りしたものの、まずは自分の身を守ることが先決の自分自身に罪の意識を感じ、避難することがいけないことをするかのように感じた。

これは初めて感じる思いだった。避難途中では、唖然とたたずみどうしようとオロオロする人を多数目撃し、”大変な様子をぼーっと眺めとらんと、あんたらとっとと逃げなはれ〜!” とは わたしが感じたことである。その人々の様子は、東日本大震災時のテレビの映像と重なった。

結局は何事も、、、なかったから良かった様なものなのだが、もし何かがあっていたら、、、思いを引きずっていたかもと思うとちょと心しんどい。


日常を戻すのに誰も一生懸命

台風がおさまってから、安全を確認しながら自宅に戻る。停電で真っ暗闇でもあり、台風で自分の住む町内がどんな様子だったかはさっぱり分からん。次の日の朝、近所を歩き回ってはみたが 壊れたもの等わかりやすい情報しか目に入ってこなかった。あとはネットでの情報集め。思ったほど、当事の画像は公開されてはいなかった。約二日間、広範囲に渡った停電で作業は何も出来ずだったので、電気が復旧すると、仕事の遅れを取り戻すのに必死のパッチな日々を送るのでありました。


情報得たい!自治会に出席するも

それから約2週間の時間が経ち。月1回の町の自治会に出席した。出席しなくてもいい立場ではあったのだが、その台風21号時の、全体像あるいは地域でどうだったのかが知りたくて出ねばと思ったのだ。

期待して出席した町内会、会長さんの開口1番が、

「もう、台風の話はみなさんようさん話されていると思いますので、その話は今日はなしで行きます。」

”っ??? 何〜それ〜???”

”え?わたしはそれが知りたくて参加したのだけど、それ、なし????どゆこと?”

してない、してない、この町内での台風の話、わたしらちっともしてないし出来てないし。自分の住んでる界隈での災害の話を、住民全員が情報共有してると思ったら大きな間違いですよ〜?! 

みんなで立ち話程度でも話をしてるだろうから?もう話し飽きただろうから???って何?

そう思ってしまうのは、情報がご自身の周辺に自然に集まり、状況を把握していたからであって、大きな勘違いとんでもない!へんてこりんな表現が許されるならば、ある意味ご注意、特権階級?的意識なのかもしれませんのよーーーーーっっ。

自分の住んでるエリアは結構台風被害が大きかったと思うので、界隈ではどんなことがあったのか、ちょっと俯瞰の視点での話が聞きたかったのです。今後世帯それぞれがどう対策したらいいとか、町内会では何か一つ 台風関連情報があってもいいんやないのと思ったのですが、、、、、ありませんでしたのですなあ。


ご近所の方々は、常日頃顔を合わせているのか?

否。生活の時間帯がバラバラということもありますし、台風の後は、ご近所もご自宅の片づけやいつものペースを戻すのに一生懸命。そんなにお会いすることもなく、台風時の話をする機会がありませんでした。そのせいなのかもしれませんが、その月の町内自治会は、わたしが知っている中でも、一番参加人数の少ない会合でした。大勢の方が参加されるかと思ったのですが、その少なさに驚きました。

住宅街には大きな被害が及ばなかったからかしらん?誰も、怪我、あるいは大事に至ることがなかったからでしょうか?

自分は夫婦だけの世帯ということもあるからか、住むところの情報は、必死?で得ないと得られないことを痛感〜っ。

かかわるコミュニティの数、や質で、情報の量は全く違うことを考えさせられました。


自分のコミュニティーを振りかえってみよう

結局、台風に関して直接話が出来たのは。(ご近所ですよ)

台風当日に話せたのは、ご近所の叔父様一人。(〜台風過ぎ去り、真っ暗闇のなかでの会話。〜)

二人目は、次の日の朝、後片づけとご自宅周りの掃除をしておられたご近所のおじ様。

三人目は同日、町内会の集金に来られた班長さん女子。

たったの3人だけでした。
+ 自治会当日、お隣に座った女性。

合計4人。それでもよかったと思うべきか。あとはもう時間が過ぎ過ぎてなかなか。
朝、ゴミ出しで出会っても、皆慌ただしく立ち話とはいかない。

おそらく子どもさんを持つご両親のコミュニティでは密に情報交換があるだろう、
仕事場でのコミュニティもあるだろう、
3世帯同居などされている方は、間接的にその情報を得ることが出来、
なんら困ることはないかも知れない。
あるいは趣味のコミュニティー然り。
いろいろなコミュニティーから皆さんは情報を得ていると思われる。

それを見聞きしているから、住民みんな大丈夫だろうと思ってしまいがちではないか。でもそれは大きい範囲の情報で、ご近所情報ではないかも知れない。こぼれ落ちるのは、高齢者ではない一人暮らし世帯。 高齢者ではない夫婦の世帯?

高齢者世帯や 介護中の世帯、あるいは子育て世代には どうにか目が行くかも知れませんが、
コミュニティーをたくさんもっていない人はどこから情報を得たらいいのでしょう。

危ういなあと思います。本当に自分が今出来ることを少しづつやっていかないとと思います。


どうにか得られた災害情報

今回、中学校区ぐらいの大きな集まりで問題になったことは、(何の集まりかおぼえておらずですが)
実際に避難して来られた方がここでは受け入れられませんと拒否されたり、あっちに行ってくださいと言われたり、
もう移動出来ないぐらい暴風雨がひどくしょうがないのでここで待機してくださいとなったことなど。

???津波のときの避難場所と、台風のときの避難場所等、災害の種類によって避難場所が違うらしく、現場で混乱があったのだそうだ。

その情報が得られただけでも、町内会に出た甲斐があった、よしとするべきか。

はて。この情報とっても大事だと思うのだが、今のところ回覧板なども特に回ってこずで、シェア(共有)は、ない様子。一部の人だけが知ってる内容になるのかな? それもなんだか「?」でありまする。また話し合ったことは、住民に返してくれて、回ってくると信じたい。

結局町内会での災害に関する情報は、その最後の一つのみ。 極めて、極めて少なかった。


まず出来ること。つい抜け落ちがちな事。

次々災害が起こるので、息着く暇なしの近頃だ。皆、まずは自分自身の周囲を守ることで大変である。

高齢者の方々の避難、病人のいる方々の避難、子どもさんのいる方々の避難が大事だわーというのは、共通認識の様子でありますが、その前に、情報がそれぞれの人にちゃんと届いているのかという点をイメージしてみることが大事な気がしている。


自治会で発言するのは勇気がいるの

これを読んでくださっている皆様は、ぐんじょーさんがここに書いてある様ないろいろな事は、自治会の会議の上で発言したらよかったんちゃうのん? と思った方々ヨウサンいはると思います。 

されどその時は唖然、な驚きで心満タンそれどころではなく。振り返ってみても他の出席者からは誰も何も発言はなく。と言うことはどなたも困っておられなかったと言うことではなかろうか。その場での発言などまったく出てくる様子もなく、もう自分は自分で情報を集めようと思いましたんです。

そんなもんなの?どんなもんでしょう?はい、残念ながら、余裕がないと出来ません。余裕がないので、そうなりました。まずは自分自身や 自分の家族などを守ることで手いっぱいで、それをまずはせんと、人助けなど出来るはずもありません〜っ。もちろん町内ご近所の繋がりを、もっと作っていかんとな〜の思いもありながら、ですよ。

(今回の台風24号では「避難準備・高齢者等避難開始」が発令された段階で避難をしました。前回での経験で、「避難勧告」が出てからでは、周囲の様子は凄まじく、避難するのも大変だった為。)

うちんとこはいい感じやん?と思ったら

“私のところでは、そんなふうではなかったわ。団結していたもの”、等これを読む方の中ではいらっしゃるだろう。 
それはそれでおうらやましい。台風がきても安心と思えたそのお知恵、ご近所の取り組みがどんなふうなのか、周囲のご友人に是非とうとうとお話してください。これではいかんと思う方が増えるよう。重い腰を上げる方が増えんことにゃ、なんにも変わりませんのどす。


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お互いを尊重してのコミュニケーションだが、まかせっぱなしではなく

9月 30 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

先日の当事者会では、
市の介護保険課の職員さんに来ていただき、今年度からの介護保険の改正についてお話をしてもらった。

改正点は沢山ではなかったので30分ぐらいで終わりますよとおっしゃっておられたが、意見が沢山交わされ、1時間半位になる。今回のテーブルの並びは、スクール形式ではなく、ロの字の形でセッティングしたことも皆さんのお顔がよく見え、それぞれの言葉が引き出せる要因になったと思う。

参加者さんの日ごろの疑問や、介護職の方の経験談(あくまでも守秘義務は守り、話せる範囲での内容)なども話題に上り、内容がさらに深まり、参加した方々は満足された様子。質問に上がった内容は、市役所の職員さんに持って帰っていただき、なんらかの返答は必ず頂くこととなった。

今回は初参加で見学のご高齢の方が来られたのだが、この方への対応で私は考えさせられることとなった。仮にAさんと致します。

耳が遠い方の様に感じましたので、講師の側に座っていただいた。

レジュメ(資料)ありで、職員さんがお話しを進めて下さるのだが、じっと様子を見ていても、聞こえておられない様子が見てとれた。 これではその方にせっかくの内容が届かないと思ったので、社協当事者担当職員さんにマーカーを持ってきてもらい、ホワイトボードへ要点の板書を行った。

隣に座った世話人さんが、途中で資料のどのページを開くか等助けてくださるのだが、耳が遠くおられるためか、ご本人にはなかなか声が届かず。出来るサポートはするわよ♪と手伝う前向きさの世話人さんも「こりゃ無理だお手上げだ」の表情となる、、、。

その後、お話を振らせていただいたり、質問を振ったりはするのだが、会の内容とはずれていてもご自身が話されたいことだけを話し始める等、うまくコミュニケーションがとれないと感じることが重なった。 

社協の職員さんが側に行き、足りないところを助言下さったり、最終的に、その時点でサポート出来ることはこちらはすべてしたとは思うのだが、、、限界があるなと思った。

会が始まる前に、別の方も、話しかけて下さったりはしたが、「会話にならない」と感じるような雰囲気がちらっとあったことを思い出した。

ただ耳が遠い方だとは思っていたが深く考えずの私だった。そうか〜そうやそうや。見学に来られた方は、耳の側で大きな声で話しても、聞こえない位の耳の遠さ加減だったのだな。会話が成立しないのだ。

やはり、自分自身でも補聴器をつけるなど、人との交流を図る上での出来ることはご自身でしていただかないと、無理があるなあと感じた。

特に当方は高齢者を介護しているご家族が集まる会。 当事者会にいらっしゃるご家族の方で、ご自身で耳が遠いと自覚のある方は、使い慣れた補聴器や集音器の装備はお願いしたい〜。

少しでもいい情報を得てもらうためにも、よろしくお願い申し上げます。


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テーブルの配置はロの字型かアイランド型かスクール型か

9月 27 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |

毎月1回の介護者の集まりの家族会の定例会では、机の配置に悩みます。
参加人数が多いか少ないかでも声の届き方や交流のしやすさが変わるため、始まる直前にすみません〜っと配列を移動させることもあります。人手は足りないので、机は元の位置に戻し易くするのが大事です。きっちり作るというよりも、ああもうこんなもんでいいわいな、という様に、結構適当である。

大きなイベントではあらかじめ参加者にはエントリーしてもらうが、通常の定例会では参加者の数は読めません。初参加の方が突然来られる場合もあります。雨の日は少ないですし、猛暑や極寒でもこれまた少ない。臨機応変に対応するのが一番であります。

先日、講師をお呼びしての勉強会をしたときのこと。

スクール型に席を作りました。

スクール型というのは、いわゆる学校での机の配列。参加者が全員前(講師側)をむく形式だ。
前では講師がスクリーンに図を映し出して、講話をしてくださる。

ご年配の方も多く参加する会なので、どうしても聞こえやすいかどうかを気にしながら席を配置する。
毎回マイクを使えれば問題はないのだが、参加人数により借りる部屋の大きさが決まる。大部屋では使えるのだが、そんな特別なイベント以外の小さく区切った部屋では使えなかったりする。そのため、講話なのに小部屋の場合は難儀することがある。

その勉強会では予想外に人が沢山いらしてくださり、学びの会が始まった。

会がうまくいくかどうかにばかり気が行くので、私はいつも勉強会の内容はあんまり頭に入っていない。

途中で明らかに 聞いておられないと見られる方を発見した。しばらく様子を見ていたのだが、おそらく耳が遠くていらっしゃるのだろう。

声は届いていますかと訊ねるも、大丈夫です、とのこと。

とはいっても レジュメは異なるページをずっと開いてらっしゃり、めくるのもまったく違うページばかり。案内をしてみても、これはどうにもなりそうになかった。嗚呼、マイクがあれば、、、。

勉強会はどうにか終了。 ああ今回の講師の方は少々熱くなると早口になりすぎる方だったので、難し過ぎてよくわからない部分も多々あった。耳が遠い方ならばなおさらか。

終わってから、参加者のおひとりが、スクール形式にすると、参加者は前向いてお話されたりするので、講師とのやりとりが後方の席には届かないのだ、聞こえにくかったよと感想を下さった。

聞こえの補助となる補聴器をつけておられたそうなのだが、それでも聞こえにくかったそうだ。ロの字型にテーブル配置するのが良かったのかも知れない。うーむ、次回の参考にしたい。

スクール形式は、勉強をしている気になれる。受講生同士では顔が見えないから集中が出来ると感じる。
でも一方的に講師の話を聞くだけになりがちだ。
来てくださる方が指定される場合もあるが、コミュニケーションを取る必要のある内容なのかでも変わってくる。
もう少しその時々で考えて配置をせんといけませんねえ。

加えて、ボランティアで関わる皆さんが皆、耳が遠い方への配慮が出来るかと言うとそうでもない気がする。そこは少々残念に思うことがある。

だが一方的に配慮するばかりでも問題は解決しないのだ、と思う出来事がこの後又あり、考えさせられることでした。これはまた次回ね〜。つれづれ。


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おもりばっかりは嫌だーーーーーっ

9月 23 2018 | 介護者会・家族会 | コメントはこちらから |


嗚呼。・゚・(ノД`)わかものくんと会話したい、、、、。じさまばさまばっかりは嫌、、、。

(はい、本日1500文字。速い人で2分半〜3分です。)自分自身の日常の生活と、行う介護の当事者会のボランティア(という言い方は好きではないのだが〜)のバランスが悪いと感じる時は冒頭のようなことを思ったりする。なんちゅうこというんや、と思って下さいますな。

当事者会を運営していくと、どこの会にもボランティアの支援者側にゃ、ひとりやふたり、個性的なくせ者がいらっしゃるご様子である。ああ、へんくつなのは私もだから、自分のことを棚に上げるな、ぐんにゃり亜鉛さんよ。

自らがやりましょうと手を上げ、自主的に当事者会に関わるのは熱い思いがあるからこそ。おひとりおひとりにこだわりがあり、事あるごとにヒートアップし意見を闘わせるのは理解出来ないことはない。年齢を重ねた自分もそうだなあと思うのだが、柔軟な考えというものからはほど遠い。かちんこちんになっちまう。

忘れる、とぼける?感情を全力でぶつける、マイナス点をあげて他者を非難する(と感じる)、など全く理解出来ずの言動が続出し、呆気に取られる。自分が振り回されることもある。ああ、生身の人間はサンドバックではないのである。

これは支援が必要になった方や介護が必要となった方のお話ではありません。

皆で同意の上で、頭に気持ちに汗して選んで、会に取り入れたものを、何度も否定されると立つ瀬がない。
「非難ではない、意見なのだ」うぬ?くすぶり続けるその方のわだかまりは何度もぶり返され、そのたびに耳にするのは疲れる。

年齢を重ねられると、仕方がないのかなと思う部分もある。ご自身でコントロールができなくなるのかもしれない。言うたら終わりですっきりされ、、、すぐお忘れになるのだね、千切れてしまわれるのだねとわかるのは、時間をかけて交流を深めるからだ。爆発された自覚はない。あっけらかんは変わらない、ので離れたところから見ると、愛されキャラクター♪となる。

最初は「?」だらけでまじめに考え込む自分であった。だんだん ”ご自身の体調不良や介護の心理的なしんどさ等、誰にでもあるストレスが、表面化して、見知った顔の中では爆発されるのだろう。それだけ信頼感が生まれているということか。”という様に感じるようになったのではあるが。

それにしてもあまりにもわたしとしては首をかしげたくなる場合もある。途中でストップをかけても止まらず、気持ちが収まりすべてが終わるまで待つこととなる。運営に支障が出ることもあると感じている。

意を決して来られた方に何を話しても安心出来る場を作ることに力を注ぎはするが、それは当事者の会であるからだ。 それといっしょくたになってボランティアの支える面々の間でも 何を話しても許される、と思ってしまう気安さが見え隠れする。そこはやはり人としての礼儀も必要だろう。

それぞれに、会はこうあったらいいという理想像があるものだから、結構言葉を戦わせることもある。意見を言える場であることは嬉しいのだが。

しかしながら、言うたらすぐ忘れるという特色のある方は、すぐ忘れるものですから、何回も何回も言わないかんというのは、心がしんどく、ああ私の時間を返して〜っと思ってしまいます。

当事者が集まり、お手伝いする方も兼ねると、世話人さんの中での交通整理が大変に思う事が多いです。それはそれで擦り切れます。人間力が試されるのは毎回ですが、あまりにもしんどいと、だんだん優先順位が下がってきます。現状では時間が割けなくなってきていて 以前よりは人にお願い出来るようになってきましたが〜。
 
2018年7月下旬の記述を再編集〜っ。いろいろな方のお話を聞いて書いておりますが、これはフィクションです。


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