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2001年 秋の出来事
 

2001 09〜11

●介護者、介護でイライラ。
●友人の看護婦さくらによる緊急入院する時の電話連絡の技。
●11月中旬ばあこ入院 肺炎膀胱炎併発。その他盛りだくさん

ふむ。どないしよ。
 

2001 11/30



(C)群青亜鉛
少々画風を変えてみて、
おフランスコミック風、
疲れた時の
上がり目下がり目体操。
(illust up `
03 2/21)

 


ばあこは元気だが、力がない。座っていて頭が座らないので、うなだれるか、がくんと頭を後ろに倒すかどちらかなのでどうにかならんかと思って、旅行用のU字の空気でふくらませる枕を病院へ持っていった。車椅子に座りながら流動食をチューブで補給するばあこの首にあてがう。最初はとても具合がよく「ええわ」とばあこも言っていたのだが、あたまを無意識に動かすたびにU字の角が、のどにあたる。ばあこは自分で枕の位 置を調整できないんで何かの拍子にそのエア枕で首がしまらんとも限らん。残念だが持ってかえる事にする。唇が乾いているのでリップクリームを塗ってみ、と渡すが、まるで食べるみたいに口の中にはいってしまうので私が塗った。自分の名前は言えるようだが私の名前はなんていうの?と聞いても、ぜんぜんちがう人の名前を言う。おかんの名前はすぐ言えたらしいが、私の名前は浮かばんようだ。8年も一緒に住んでいたのに、お世話もさしてもらっていたのに、ちょっと寂しいのう。

おかんが見舞いに行ったとき、たまたま主治医の先生がいてらして、話を伺ったそうだ。ばあこが口から食べられるようになる可能性はもうないと思う。ここは救急病院なので、3週間しか受け入れられないので、(明日でまるっぽ3週間)はやく次の行き先を見つけてほしい、12月にはいるといろいろ病院も忙しくなりますので、、、。無理やり家に連れて帰る人もいますけど、、、。とな。なんや、この前の話とはちゃうやんか。あと2週間は入院が必要って言うたやんか。はよ出ろってことかい、それって病院側の都合だけやんか。(怒)

ここは完全看護で、ええ病院なんやけどなあ。こちらとしては、はよ、口から食べたのをれんとげんにとってもらってそれから事を決めたいと思っていたのだが、口から食べさすと、気管にはいって肺炎になる恐れがあるためか、病院はなかなかそれをしようとはしてくれない。それをしましょう、しましょうと言って、10日は経つ。嫌そうだ。

ちゅーぶでりゅーどーしょくだとなんだか疲れるのか、ばあこはちょっと呆けたようになっているのが気になる。

お医者さんはお医者さんの都合でモノを言うだろう、きっと。おかんはそのまんまを受け取ってしまうので、しゅんとなってしまっていた。せんせのお話っちゅうのは、絶対身内2人ぐらいで聞くべきだなあ。そうすれば片方は冷静になれるもの。一人で聞くのはあかんよね。落ち込むもの。

明日はばあこのいつもの主治医のところへ行って、どうしたらいいかを相談しに行く予定です。 そしてその病院に受け入れてもらえるならば、そこに入院ということになるのかな。 あそこは今はどうなっているのだろう。前は完全看護じゃなかったからな。 でもあそこは暗いんだよなぁ、雰囲気も。病院はきれいなところの方がいいもの。とはいえ 文句は言ってられないよな。


ばあこに口からモノを食べさせてあげたい、これは私らの思いだ。多少はむせてもいいじゃないか。

でも、喉の奥の気管と食道の切り替えのスイッチがうまく働かないばあこは、まちがって気管にモノを運んでしまい、肺炎にかかるおそれがある。チューブを使っての流動食を続ければ別 にさして問題はなく、あれこれ心配せんでも済むのだ。おまかせでらくちんはらくちんなのだ(私たちがね)。ばあこはといえば鼻からチューブなので痛いしきっと気持ち悪いしつらいのだ。(私は鼻からチューブを入れたことがないので、不快さがどんなものかはわからんのだが)手は自然にチューブを抜こうとするので、車椅子や、ベッドの手すりに縛られている。

そう、流動食でも、ぜんぜん問題はないのだ。でも流動食のままだと、もうこのままばあこが老衰するのを待っているだけのような感じをうける。ふむ、はっきり言って、あとは死ぬ だけか、と。私たちが口からの食事を願うならば(ばあこの状態がどうなるかはわからんのだが、やはり先、先、いろんなパターンをシュミレーションして考えんことには進まないので、、、)、 今後、別の病院に入院したときは、食事時はいつも介助にいかないかんやろう。そして、それは特にうちの母上の想いなので、助けはきっと私以外の誰にもお願いはしたらあかんのちゃうかと感じるのだ。そりゃ、来て欲しいのは来て欲しい。でもみんなそれぞれ事情があるので、無理強いは出来ないなあと感じるのだ。結局介護出来る人がするしかないなあと感じる。

そんな今日、11月、最終日。明日から師走。

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実家を大掃除
 

2001 11/29


今日はお見舞いには行かず。母上に行ってもらう。
実家の エアコンを大掃除した。窓もふいた。こびりついたニコチン野郎はちょっとやそっとではとれない。アルコールをウエスに含ませ、羽の部分を拭く、拭く。拭く。あああ、にこちんとかび野郎が住んでいた。網戸用わいぱーなるものを購入し、網戸を拭きまくる。便利で、いときれいにはなるが、この含ませてある洗剤、体にあんまりいいことないよなぁ、と思う。

めっちゃ腰痛。
仕事が三段構えになり、危機感つのる。
年内、休む暇なしになる気配。
おそろしや。

町田康の「つるつるの壺」を本棚から出し、大笑いしながら読む。

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さらに元気。
 

2001 11/28


今日は再び実家の大掃除。畳を上げて掃除する。腰痛だ。機能がようさんついてる掃除機を使うが、単純なスイッチをいれれば吸う、という掃除機が1番いい。へんに吸い込み口に電気なんてとおらんでよろし。重たいのだよね、ほんまに。
 加えて 日本の家電は、デザインが悪いのう。最近の洗濯機なんて、なんで上部があんなに曲線になるわけ、、、、あ、しゃべりはじめると止まらんのでやんぴ。

面会時間終了ぎりぎり5分前に病室に着く。
ばあこは元気。べらべらしゃべるが、
唇がしっかりとじないため、何を言うてるんか、
じぇんじぇんわからん。

とにかく、昨日よりも元気になった。

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おしっこの管とれた。
 

2001 11/27


先生から話を伺う。 2週間ぐらいかけて様子をみましょうとのこと。

よくなっても、全部の栄養を食事から取るのはむずかしいかもしれない、流動食のチューブは手放せないかも、とのこと。それだけ体力が消耗しているそうだ。悪いほうについつい考えてしまって、ついついじわっと目がうるんでしまう。が、口もしっかりしているし、ま、大丈夫やろ。バスタオルとタオルの替えをもっていき、はよ家に帰ろうなーと面 会10分する。「おしっこーしたいー」とばあこ尿意を訴える。まみむめもも、ぱぴぷぺぽも大丈夫。じぶんの名前も言える。でも、私の名前が、以前のようにすぐにはでてこない。

その合間に、実家の大掃除に参加。

 

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鼻からチューブ
 

2001 11/26 


今日から流動食。鼻からチューブ、胃まで届いている。

入れるところを見た。痛そう。ばあこ抵抗。朝の先生の回診に私はまにあわなかった。ばあこの部屋は、だいたい最後なんで、ぎりぎりに来ても大丈夫、と思って来たらもう終わっていた。とほほ。

個室から、看護婦さんの詰め所の隣の大部屋になった。昼の1時ぐらいに移動を告げられて大慌て。付添う私らはなんやかんやと荷物をもちこんでいたので急いでまとめる。この個室にはすぐ次の人がはいるらしく、荷物の行き場がない。たのんで2段になったキャスターを借りて、そちらに荷物をうつす。

大部屋は 6人部屋で、若い人も含めみんな寝たきりでしゃべれないぐらいの重症の人であった。個室みたいに、付添のものがゆっくりいる場所はない。もちろん多くの荷物を置く場所などない。
  ばあこは元気なのだが、鼻からチューブで、その部屋に寝かされていると、重病人のように見える。 一日一万円の個室代は痛いので、大部屋に移ることをお願いしたのが土曜日。金銭的には安くすむが、この大部屋にいると、どんどんばあちゃんはエネルギーがなくなっていくのではないか、との不安を抱く。そばに私たちがゆっくりおれそうにはない雰囲気で、逆に心配になった。面 会時間のみ、外部の人がはいってもいいらしい。
 叔母が明日来てくれることになっていたのだが、TELして今の状況を説明し、私が先生に話を聞き、また追って連絡するから明日は来なくても大丈夫だと告げる。

10日ほど前の危篤状態時には母も叔母達も私も覚悟をきめていた。葬式の話もした。

一時の危ない状態を切り抜け、今は安定して良くなっている。今日も座る練習をしたし。だが、いつどうなるかわからないなあ、とおぼろげながら思う。でも気持ちはとても平穏。

さて、仕事、しよう。

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車椅子で座る練習ハジマル。
 

2001 11/25


今回ばあこは入院してよかったと思う。
全身検査出来たということでもよかったのはもちろんだが。
7年あまり長引く介護で、皆疲れてきて、
だんだん介護に対する意識の違いから、
親戚同士が疎遠になった昨年の夏。

ばあこが今回倒れたことで、皆がまた集まってきた。
みんなの意識のずれは今だにあんまりかわっていないのだけれど。
(そりゃ、みんな結婚してから育ってきた環境がちがうものね。)
みながばあこの事を思っている、というところでは一緒だ。

ばあちゃんが、また皆をひきあわせてくれたのだと思う。
そんなことを思っているきょうこのごろ。

ばあちゃんには、まだまだやらなければならない仕事があるのだ。

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りはびりハジマル
 

2001 11/21

ばあこの酸素吸入がはずれた。点滴は打ったままだ。
言語療法士の先生(女性)と介護療法士の先生(男性)が来はる。
いやあ、2人とも20代後半〜30代前半ぐらい。
かわいらしい。

言語療法士の先生が、のどの奥に木のへらみたいなのを入れた。
普通なら、げっ、となるのだが、ばあこはならない。
のどの奥の感覚がちょっとにぶくなっているそうだ。
舌をべろりーんと出す。動かすが舌が片方に寄る。
これはかたっぽの舌が麻痺しているのだそう。
食べ物を食べても口の中でうまくまとめられないらしい。

ごはんを食べても、普通ならむせたりするのだが、
のどの奥の感覚がにぶくなっているので、
むせもせずに
まちがって肺に入る可能性があるそう。
そうすれば、また肺に炎症がおこる。

今後どうしていくか対策を考えていきましょう、と先生。
むむむ。でもずっと、点滴? ごはん食べられない?

リハビリの先生の誘導で、
ばあこは10日ぶりに座った。

夕方から、疲れのためか、熱がでた。今日は話しかけても反応がにぶい。

 

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膀胱炎
 

2001 11/19


うーん、病院のあの来客用椅子を ベッドにして寝る、というのは むちゃくちゃ寝にくいですなー。 狭いし。。 熟睡は無理ですなあ。

ばあちゃんは、どうにか元気になりました。

新しい梗塞はないけれど、昔のやつが
影響して、いろんなとこの麻痺をひきおこしてるそうです。

まったく力がはいらかなった手も、握手出来るようになったし、
万歳も出来るようになりました。

膀胱炎もなおり、血でまっかっかで、白いもろもろがまじってたおしっこは普通 の色になりました。ずっと管を通してます。かえるのようにぱんぱんにふくらんでいたおなかの原因は膀胱炎でした。看護婦さんがおなかを押したら、ぴゅーっとおしっこが出てきて、、、、。処置をしてもらったあとは、おなかぺこんとへっこみました。ついでにおなかの皮が、べろんとたるみました。最近おなかが腫れてるねん、、、という人は、おしっこがたまっているのかもしれません。膀胱炎の可能性もあります。

でもいまだに点滴です。麻痺側の手にしてましたが、うっ血してひどいので、今は聞き手の左手に差しています。

あと、肺炎がまだ、、、 心電図がまだ乱れてるみたいです。 酸素吸入はずっとやってます。自分の名前も言えるようになったし。力はないので、第三者には何を言ってるかわからんみたいやけど、私やおかんには十分わかる発声です。

寝てたらどんどん退化するんで、 おかんや、私としては、 はよ、家にかえろ、 と、ばあちゃんに激を飛ばす毎日です。

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せんせいにお話を伺う
 

2001 11/15


新しい梗塞はないそうだ。古い梗塞が、症状を引き起こしている、そうだ。
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緊急入院する時のアドバイス (by 看護婦さくら嬢)
 

2001 11/14


続き。さて今日は土曜日だし。もう4時半だ。どうしよう。


看護婦の友人のアドバイスをTELで確実に、家にいる母に伝える。

救急対応ができない病院は、緊急の患者さんは受け入れにくいので、まず主治医のいる病院に連絡して指示を仰いだほうがいいとのことだった。

その病院が受け入れる体制があるなら受け入れてくれるが、
だめな場合でも、どこかの病院を紹介してくれるだろう。
主治医のいる病院が紹介してくれる病院は、なんらかのつながりがある病院だから、
「うーん、あの病院からの患者さんか、、、、」ということで、拒否される可能性は少ないのだそうだ。

 

母はまず主治医のいる▲病院にTELをした。
入院施設のある病院だから、当直医は必ずいるはず。 誰かはTELに必ず出るはず。
と友人。
ばあこの今の病状を伝え、 そして指示を仰ぐ。

そうすると、
「ここでは受け入れられませんが〇○病院に訪ねてみて下さい。」
との返事。

次に母はすぐさま紹介してもらった○○病院にTELをした。
その時注意することはね、と看護婦の友人。
必ず「主治医は▲病院で、今連絡をいれたら、こちらに連絡をいれてみてください、と言われたんですが、どうしたらいいでしょうか」と伝えること。

 

すると、受付の人は「先生は今違う病院に行っていますので、
40分ぐらい待って下さるのなら、
受け入れることは出来ますよ。」

との返事。

 

どないしよう?と母から私にTEL。

とにかく受け入れてくれるのはありがたい。
「ではよろしくお願いします。今からまいります。車椅子の用意をお願いします。」
と返事をするように。 あるいはストレッチャーなどが必要だったらそれも伝えること。と看護婦友人。

この返事は忘れてはいけないのだそうだ。病院に行く行かないの返事をしないまま、救急車や車でかけつけても、向こうは準備が出来ていないのでとても困るのだそうだ。行きます、と伝えておくだけで何の準備が必要か、検査の必要があるのかなどがわかるので、なにごとも、事前の連絡が大事、なのだそうだ。

すぐに救急車をよんだらいいというと、それは恥ずかしいと、母。

でも、結局ばあこはベッドからまったく起き上がれなかったので救急車を呼んで病院に運んでもらったそうだ。でも、あせったおかんは、119番ならぬ 、110番にTELをしてしまい、交換手に、それは119番にかけてくださいね、と教えてもらったそうだ。

そして主治医のいる病院にも、紹介してもらった病院に連れていきます、ということを伝える。こうしておくと、いざ、カルテが必要な時も、いつもの病院から出してもらいやすくなるのだそう、、、。

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ばあこ、再び脳梗塞にて入院。
 

2001 11/12

変やなあ、と思いハジメテ24時間後に救急車を呼び、入院す。
急な変化ではなく、徐々だった。

肺炎と、膀胱炎を併発していた。

夕方5時。ショートステイからの帰宅後から変だった。


ショートステイからの帰宅当日。

外用車椅子から家車椅子への移動で、しっかり立てない。
ポータブルトイレの座イスにしっかり座れない。
座イスから崩れ落ちる感じ。
そのままおしっこしてしまうので、太ももを伝って、便器の外におしっこが流れ出る。カーペットがぬ れる。それが毎回続く。洗濯物がどんどんたまる。
帰宅後すぐ外用の車椅子をかたずけていて、クッションがおしっこでぬれていることに気付く。車椅子に座ったまま失禁していたのだ。自覚症状なし。
反応が鈍い。(質問しても、すぐに答えが帰ってこない。感情がない。)
ぼーっとしている。


ベッドから自力で起き上がれない。
ベッドに寝たまま失禁。


トイレに座れない。トイレ介助で1時間半。
これだけでもうおかしいのだが何がどうおかしいかにまで、意識が向かない。
食事、いつも20分ですむところが1時間以上かかる。
いつものドッグパンがかじれない。
目の前に歯磨き道具をおいても、何も行動を起こさない。
まみむめも、はひふへほ、を練習するが、力がない。

昼ご飯。
いつものいただきます。ごちそうさま、の声かけがない。
食事で、空のスプーンをなんども口に運ぶ。
お茶を出しても飲まずにストローをかじっているだけ。
自分が誰なのかがわからない。
介助してくれてる人が誰だかわからない。

便意をもよおし、トイレに座らせるが、座りながら眠ってしまう。約1時間。

ええい、トイレに行きたいのにーい、とちょびっとぷんすかしながら、群青外出。
看護婦N嬢に会いに行く。彼女は来月結婚予定でその式のウェルカムボード制作を群青は頼まれており、今から2人の写 真を撮りに行くのだ。

で、 昨日、今日のばあこの変な様子を彼女にぐちぐち言うと、それはどう考えてもおかしい、脳梗塞が出来て、徐々に神経を圧迫しているのかもしれない、ということで、病院に連れていくようにアドバイスをくれる。そして、私は家に連絡をし、ばあこは、救急車で病院へ。病院で、検査してもらい、膀胱炎と肺炎を併発していることがわかる。

検査の結果、頭には、新しい梗塞が出来ていた。

 

ショートステイから帰ってくると、常に体は呆けた感じになっているため、今回もいつものことだとあまり気にも止めなかった。帰宅後にショートステイに行く前と同じような体の状態というのはまれで、施設によっても違うが、ほったらかしの施設にいくと、体がほとんど動かなくなっているのは常。そのため、変化に気付かなかった。今回はえらいひどいなあ、何かあったのか、と思う程度だったのだ)

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ふむ。
 

2001 10/21


この1ヶ月、ショートステイの予定が決まっていたのに、施設にちゃんと連絡が行っていないことが2回もあった。朝、送迎の時間を確認するため、施設にTELをいれると、ショートステイの予定はくまれていないとの返事。こちらはケアマネージャーさんと、TELでちゃんと話をしているのに、である。そこはなじみの施設で、比較的、空きのあるところなので、結局お願いして、入所させてもらうことに。

どこかでうまく連絡がいかなかったのだろうけれど、こんなことが2度も続くと、げんなりする。でも、母上はクレームのTELは特にいれない。怒ってはいるのだが、どこも忙しいのだろうと言い、することだけはして、何にも言わない。ナンも言わんが、じっと見ている。これが逆にこわい。きっと、おかんの様な人が、利用者の大半ではなかろうか。

表には出さないが、怒るおかんをなだめるため、対策を提示する私。事前に施設にTELして、送迎時間確認すれば済むだけの話。ケアマネさんだけに頼っているのはいかん。こちらもちゃんと出来ることはしないとね。

事前に最低限、ばあこの受けるサービスの月刊スケジュールをFAXでケアマネさんから送ってもらう。その書類はちゃんと残しておくこと。

あまり思い詰めると、疲れるもん。

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おかん、基本なんやけど、、
 

2001 10/21


トイレに連れていくとき、うちのおかんは、車椅子のストッパーをなぜか片方しか止めない。車椅子をどこぞに止めるときもいつもそうだ。で、椅子にばあちゃんを座らせる時に、 時たま車椅子が後ろにさがって、ばあちゃんが床にころぶ。

おかんはぎゃおぎゃおと「大変だ、ばあちゃんを椅子に座らせるのが大変や、」と、いつものカナきり声で文句をばあちゃんにぶつけ、叫ぶが、結局 ストッパーを両方止めないからあかんのであって、まったくもってばあこのせいではない。いい迷惑なんである。

で、さっき、また、1階からおかんの叫び声がしたのでびっくりして降りていってみると、いつものごとく車椅子が後ろにさがったらしい。ばあちゃんがずっこけ座りになっているのである。今回はこけなかっただけましだ。

私は今までなんどもおかんに注意した。が、習慣なんで、なかなか変わらない。「えらそうに言いなさんな」とおかんは言うが、大事故になったらどうするのだ、と真剣に思うから、えらそうにもなる。が注意するだけあほらしいのである。結局介助するほうが痛い目にあって、懺悔して改心せん限り、そうそう変わるものではないのだ。(まちがっても、介助されるほうが、ではないところがポイントか)

力まかせに介助する人は、特にあまり人の言うことを聞かない。自分の体が痛んでも、極限までいかんかぎり、習慣はほんまよっぽどの事がないかぎり、変わらん。だって、8年経ってるのに、今だにストッパー止めへんねんもん。

お、珍しい。今見たら、止めとったわ。

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今は長寿国やけど
 

2001 10/17


ふむ。今は日本は長寿国やけど。
私らの世代は多分早死にすると思っています。
今のばあちゃん世代は、明治大正生まれで、今のようにジャンクフードは食べないで、
よく働いていた世代。
私らの世代は、飽食やしなあ。軟弱やし。
そんな打たれ強いとも思えん。 もっと早死にする気がする。
そうすると、今一生懸命増やしている、老人福祉施設関係は、
永遠に繁盛するわけでなく、先細り産業ちゃうのん?

て、想像してしまいます。

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私は80までかなぁ
 

2001 10/17


今日の台所。フライパンで中華を作りながら。


おかん「私は80までかなあ。」

群青「えっ?あんた80まで生きるつもりなん?」

おかん「80までは生きるよぅ」

群青「別に生きるんはいいけど、たのむから、死ぬ ときはポックリ行ってな。ずるずるせんとってや。ごっつい迷惑やしぃ。(笑)」

日々、こんな会話をかます、おかんと群青であった。

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ポータブルトイレではリハビリにならんなぁ。
 

2001 10/14


私がばあのトイレ介助をするときは、出来るだけトイレに連れていくようにしている。

トイレは4方が壁なので、介助する人間が、ラク。手すりも付いているので、無理やりでも持たせて、しばらく立つ練習したりする。ついでにリハビリやっちゃえ、がわりと気軽に出来るのが、トイレのような気がします。でも連れていくまでが手間がかかるので、母が介助するときは、いつもポータブルでやっていた。

ポータブルの利点は、すぐに連れていけること。でも
難点は、起立させるときに、足下が不安定になるため介助者に負担がかかりすぎること。

皆さんもご存知の通り、ズボンとパンツの上げ下げが大変。これ、けっこう手首がしんどい。1枚ならいいけど、2枚3枚になることがあり、案外力がいる。そしてこれをするのに介助者の片手は必ず必要。もう片方で、ばあこをささえる。しっかり立てる時はいいけど、ばあこの足下がふらつく時もあるから、このとき支えてる腕のほうに、かなり負担がかかる。一回ならばいいけれど、一日に何度も行う動作なので、手がしびれてきたりする。まして、ばあこはまっすぐ立てるわけではない。右手が動かず、右足も足の外側で立つ 。だから介助者も、その体を支えるために、右や、左に傾いた形で立つ。

ばあこはこわいので介助者にしがみつく。介助者は不安定。ばあこも不安定。だから安心して立つ、という動作までばあこはいかない。あまりリハビリになっていない。

また、便座に座ってもらったら、座ってもらったで、便座と太ももの間に、まだズボンやパンツが挟まっていることが多い。だから、これを足をあげてもらって、おろさなきゃいけない。これを無理にひっぱったりすると、手首痛めるから、力任せな動作はとにかくだめだめ。無理やりひっぱったほうが絶対早いんやけど、毎日のことやから手首が必ずおかしくなるから、じぇったい、無理やりはあかん。で、パンツをおろしたいほうの足と逆のほうに重心をもっていってもらって、太ももを少しうかせてもらってからちょいとズボンを引っ張る。これはポータブルでも、トイレに連れていっても一緒やね。相手を先に動いてもらってから、介助者が力を貸す。

ではトイレが絶対いいのか、といえばそうでもない。トイレに連れていけばいったで、危ないこともある。ばあこが壁に頭をぶつけたり。わざわざつけた手すりに頭をぶつけたり。でもそれは壁にクッション材を貼り付けたり、手すりにプチプチをまきつけたり、、、(クッキーの缶 の中に入っていたり、梱包に使うあの透明の空気のはいったいぼいぼのクッション材です)で、予防は出来る。うちのは狭いトイレなんで、介助者はいざとなれば、壁によりかかることが出来るので変な負担は減る。おしっこやうんちはそのまま流す事が出来る。ポータブルなら、中身を捨てに、またトイレにいかなければいけないから、手間。

でも、ほんま、体の状態を保つだけでも、大変だ。

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足、なんかぐねってるみたい ー おかん ー
 

2001 10/05

あああ。眉間がしわしわ。きいいいっと、イラチな私。

夜9時半。母上が、 夜やお昼間も ばあちゃんに呼ばれてすぐに布団から立ち上がるのは足が痛いからベッドにしたい、 と、急に言い出した。(昼は休憩のため、畳にちょっと横になっていることが多いん)

思い立ったらやってしまおう、手伝ってちょーだいっ、とおシリを叩かれるぐんじょーっ。 押し入れにしまってあった、組み立て式のベッド(群青が子供時代使っていたもの。約24年マエノモノ。バアコモ、一時期使ウ。ナンテモノモチガイインデショ)を引きだし、 ほこりを落として、10時半ぐらいまで、組み立てたりそうじしたりしてまして、、。

ほんでその最中テレビを見ていたばあこが、「寝る!着替えする!」と叫ぶ。 ほな、自分で脱ぎ、と言うと、 次は感情爆発させ、でかい声で捨て鉢に、「服脱がれへん!」ときた。

「えーかげんにしぃ!自分で脱がんでどないするん!!脱げるやろ!これ以上体動かんようなったら、どないするねん!誰も助けてくれへんで!」本気で叱る。
最近ショートステイでも、すぐにスタッフが手伝ってくれるからかどうか知らんけど、自分で着替えをしようとしない。何言うてるねん。どんどん体動かんようになってるいうのに。悪いけど、まわりが大迷惑じゃ。

しぶしぶばあは服脱ぎはじめ、ほおっておく。ほんだら、なんなく一人で脱げてる。
「ほれ、自分で脱げるやないの。}

ほんで次に長そでのTシャツを渡す。

自分でうまく着た。

ソンナコンナデイチジカン。

あかん、キョウハモウねむ 。

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やっぱりこのベッド、狭いわ。
 

2001 10/03


ばあのベッド、幅、だいたい90センチ。まったく健康な人や、寝たきりの人はこれでもいいと思うが、 まだ寝返りがどうにかうてるかうてないか、というような人はこれじゃ狭い。この幅じゃ、寝返りして、まんなかに体をもう一度もってこないと、安定しない。

みなさんも、一度、介護している人のベッドに横になってみて下さい。ベッドじゃない人は、お布団にね。マットレスに、ごっつい癖がついてる可能性もあります。何か気付くことがきっとあるはず。

ばあに、寝返りうて打て、といつも文句をいうが、それでもあまりうたないのは、このベッドの幅が狭いせいもあると見た。寝返りうって、手すりにしがみつく形なら、その姿勢を保てるが、ずっとは無理。手すりを持たんといかんもん。しんどいわ。必然的に上を向いた姿勢のままになる。

幅の広い、ベッドが欲しいなあ。

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おしめ、捨てんとってよねっ!
 

2001 9/30


ばあを一日みた、次の夜の9時。

「おしめ、捨てんとってよねっ!」
   階段の下からおかんの声。
おかん「一日しか使ってへんのに、なんで捨てるン? 」
ぐんじよー「よれて汚くなってたから、捨てたんや。一日だけとちゃうやろ、2日使ったやんか」

おかん「まだ奇麗かったのに。いっつも私、干してるでしょ、勝手に捨てんとってよねっっ!!」


[さて、このおしめとは?
ばあこがもしも「そそう」した時のために夜や外出の時にあてているフラットタイプのおしめの話。ばあがおしめにおしっこやうんちをすることは、めったにない。いつも椅子型トイレでする。おしめは案外値がはり、積み重なるとばかにならん。使ってないのに捨てるのはもったいないと、毎回おかんはお日ぃさんにあてて干し、一枚を何日間か使用しているのだ。しかし、びろりーん、と外に向けられた使用半ばのおしめは、やはり好かんのである。ばあこがショートに行ったあとでも、再利用おしめはあてるほうを上にむけたまま、いつもの定位 置にある。「また使うぞ」というお知らせ予告偏なんである。ばあこの部屋で定位 置とはいえ、やはり、ぐんじょーはいやなのである。が、文句を言ったとしても、「ほな、どないしたらええのん?」てことになり、私の頭はアウアウ言うだけで対策がまったくないので、黙っているのだ。]

 

さて、おしめ解説は終わりにして、さっきの戦いの続きだ。

「何をいわんや、である。あんた(おかん)のおしめ使用のサイクルをわたしゃ、知らん。 それほど怒るんやったら  注意、おしめ捨てるな  とメモ書きでもしていけばいいのだ。 何も書き残さなかったくせに、 やり方がちゃうからといって、文句言うんは変やろ。 そこまでよう、気ぃまわさんわ。」

そんな内容で、ぎゃあぎゃあと言い合う。ああいえばこう言う、こう言えば、ああ言うで、いつものごとくおかんと私は お互い打ち負かさんと気が済まん。トラと蛇の戦いは限りなく続く。

捨て台詞を言い、しばし間。
..................................................................................。

思い出した様にまた捨て台詞を言い、しばし間。............................................................................。

 

文句を言うおかんは、文句を言う日頃のぐんじょーにめっちゃそっくり。とほほ。最後には冷静さをとりもどすぐんじょー。で、ステゼリフ。

「人にまかせたんやったら、やり方ちゃうからって文句言いな!!嫌やったら、あんたがやりぃっっつ。」

なんと普遍的で神髄をついているのか、と我、喜々とし。だが侘びし。
階下のカナキリ声は、遠のいていったのだが、、、、、。

とっぷへ

腹がでぶ。おしりは、のっと、ぷりっ。
 

2001 9/28

腹がでぶ、だ。寸胴も、ずんどう。この半年、運動というものをまったくしていない.継続する、っちゅう単語がないんかい私の辞書にはっ。うん?2年間、久々に芝居と関わり体を動かしまくったくせに、卒業するとぱったり止まった。でその結果 は 。

ウエストが、4センチ伸びた。くびれがない。ぶよぶよの、ブヨ、だ。まったくの子供体形。ベルトが一気に3穴ぐらい大きくなり、もう残りの穴はない。ベルトを買いカエナいかん、なんて、かっこわるすぎる。

だんなも、だんだん腹が「でぶ」になってきた。彼は「運動不足やなぁ」と言うだけの運動ゼロの日々が7年以上続いている。私はせいぜい半年だ。が、二人ならんで、腹を鏡にうつすと、しまりなく、加えておしりがたれたれの子供が二人。おなかの出具合までそっくりだ。

こんなはずじゃなかったーっ。結婚した当初、だんなのおしりは、もっと上がっていたはず。ズボンをはいたオシリ姿はかっこよく、そのプリさ具合にホレボレしたもんだ。あの「プリケツ」に惚れたといっても過言ではない、、、のにのにっ。

ほんでやなっ、いつもだんなとは「腹/腰の肉」のつかみあいをする。ぶよよ〜ぉん。とほほ。

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かわりばんこで、金切り声。
 

2001 9/28


おかんも、群青も、だんなも、カワリバンコデ、ぶちきれる
ああー、ばあちゃん孝行しているのーっ、と無意識にゴキンジョヲ意識シ、アッピールっしていたぐんじょーだが、もうばればれ、なんである。かぞくの中では、えらそう、にしていること、がっ。がっ。がっ。あーあっ。おかんとのけんかなんて、日常茶番時、だもんなー。むしろ、親子やから、けんかできるんやと思っている。んだがねー。

夜になると、だんなが帰宅する。それからパソコンのイラストレーターのことや、フォトショップについて質問したりする。

だんな私にとって、支障、ちゃうちゃう、師匠、なんである。身内をほめるのもなんだが、色の使い方といい、センスといい、よろし過ぎて、いつも手放しでパチパチ、しかしいつもプンスカなのである。すばらしい、ぱちぱち、ぶらぼー、と素直に言えばいいものを、いや、技術的にも、なんでも差がありすぎて、しょぼくれ、卑屈になるときがあるのである、群青は。

頭の回転がだんなは早いが、私は遅い。んで、ぱそこんを教えてもらっている夜中の1時ぐらいに、けんかが始まる。だんな:「ちゃんと言うてる事ききぃ!!」ぐんじょーっ:「そんな大きい声、ださんとってよっ。私はあんたみたいに頭の回転はやないから、そんなぱっぱっと出来ひんのっ!」だんな:「なんで何回もおんなじ事言わすねん。前にもおんなじこと言うてるやろ、なんで出来ひんねん!本気で聞いてへんからやろ!」ぐんじょー:「夜中やのに、そんな大きい声、ださんとってよっ。。。(で、ちょっとかわいこぶって、ぐんじょーべそをかく、が、ばればれなんである、る、る、る、、、)」

だからいつも、うちの家からは、朝から晩まで大声が響きわたっている、、、、。

あああ、かっこわるー。

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おおお
 

2001 9/28

おオオ、アンソニー・ムーア(なんのこっちゃ、読みとばしてください。)

ナンジャ、コリャ、の実験音楽。こんな音、聴く機会まったくなかった。音、が作品なのねん。それより、私は去年のスラップ・ハッピーのライブにイキタかった。ライブCDが売っていたので、買った。聴いた。ダグマーの声、健在。会場で、自分を売り込む青年発見。みんなサインをしてもらっている。が、気持ちがへこんで、そのまま帰った、10日前。

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死に物狂いの蚊
 

2001 9/28

今年の夏は、ほとんど蚊には咬まれなかった。
せやのに、なんで、今ごろ、5ヶ所も刺されるねんっ。

それも、腹、腹っ!へそのまわりっ!!

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はげる
 

2001 9/28


ひっつめて、ひっつめて、毛、うすくなった。 ぶしょうな私はほっているうちに髪がのび、ずっと「ろんげ」である。 しかし、髪が顔にかかるのがいやなんで、いつもひっつめる、と、だね。 いつも、毛がごそっと抜ける。来月には、毛、切ってやる。 2年ぶりだ。
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ばあこは元気です。
 

2001 9/24


最近は、ちょっかい出してばっかりやなあ。ばあちゃんの顔ひっぱるのが、私の日課。こそばすのが日課。

この頃は私はほとんど介護にかかわってないんで、以前ほど、なんともよう書き込みが出来ません。ばあの近況と言えば、最近また、リハビリの先生に来てもらうことにしたこと。それと、すごくいいショートステイの施設が見つかったこと。お泊まりに行って帰ってきても、体の状態が家にいる時と全く同じ。悪くなっていない。これはすごい。

私が最近することは、トイレ介助、デイの送迎、時に食事介助。一日に一回するだけぐらいですねん。

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おらんようになってしもた
 

2001 9/18


友人が亡くなった。ガンだった。40歳。
今日はお通夜。 ぽっかり穴があいたような。顔は見なかった。 お見舞いも行かなかった。 懐かしい人にたくさん会った。 先日ここにもアップしてたが、 私がこの夏作った昔いた劇団の絵巻物のような本。 その公演には彼女も出演していた。 彼女が死んでから気がついた、 彼女に見せるのを忘れてた事に。 今日それを彼女のおかあちゃんに渡した。 「へえー、結構ええやん(^^)」 そんな彼女の一言が聞きたかったなあ。
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グリコのおまけ
 

 

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制作:(C)群青亜鉛
2002(改訂)