目次
 


〜その4〜

その1
その2
その3

  • 看れる人が看る、ただそれだけかぁ。(2002 06/09)
  • どーれが一番幸せか
  • 川の流れのよーにぃー♪
  • 支離滅裂
  • もしも、もしも、もしも

看れる人が看る、ただ、それだけかあ。
 

2002 06/09


ばあこが倒れて入院してからこの8ヶ月、
びっくりする位、いろんなことがあった。

もう、アラガウ(抗う)ことなく。

ほんまのほんまに、こりゃ運命なんやろうなぁと思う。
きっと、私がこうしてばあこのお世話をさせてもらうから、
私の周りの空気は不思議と澱まずに流れていくのだろう。

「私をお世話した経験を生かして、あんたは人様のお役に立つことをしぃ」
、ばあこが、そう道を示しているとしか思えない。

今は朝と夜の食事介助と、その前後のトイレ介助に病院へ通 う日々。
たいそうな言い方かもしれないが、これが今の私の務めなのだろう。

結局ばあこを看れる人は、長女である母と、私しかいないのだ。

看れる人が看るしかない。

ただ、それだけかぁ。

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どーれが1番幸せか
 

2002 02/08


元気があるから、利用出来るのが色んなサービス。
ほんまに口から食べることも出来なくなったら、
利用出来るサービスは極端に減る。

ショートステイが利用出来るのは、まだ元気な証拠。
口から食べられなくなったら、受け入れてもらえる
ショートステイの施設は極端に減る。

口から食べられなくなるなんて事は考えたこともなかった。
テレビでよく見る昏睡状態のシーン。チューブでつながれた身体に
現実感はまったくなかった。

でも、それが目の前の身内 がそうなったときハジメテ、
大変な事なんだと気が付く。

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川の流れのようにぃー♪
 

2001 10/1


どないかしようと思っても、どうにもならんことはあるもんで。
たゆたゆと、身をまかせていこうかなあ。
現状打破、出来る時とできない時。
タイミングはあるもんや。

なるようにしか、ならんのだなあと、思う今日この頃。
たゆたゆと、やなぁ。
思いがけなく、あちらから、流れは来るもんだで。

(三十路の六で、悟って、どないするねん、ほんま。)
でも、こないな、この頃やもーん。ええ歌やなあ、この歌は。

秋、なのねん。

 

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支離滅裂
 

2001 2/22


陰の声。
「施設のほうがいいよー」

ほんまかなあ。 施設でも色々あるからなあ。

ばあちゃん、今ロングステイ中。でもはいれるまで、ほんまに大変やってん

今入っていても、まかせっきりとちゃうから。洗濯物とりに行ったり、何かあったら病院連れていかないかん。 ほりこんでたらそれで済むってわけとちゃう。
そんなね、ちょっとしたことを続けるのが案外くたびれるもの。 でかいハプニングは一時的だから、何としても乗り越えられるんやけど、 日常のちょいとしたことのほうが続けるのが難しいのう。

ばあちゃんや、ばあちゃんぐらいの年齢の人が、(^^)にこにこっとしている姿を見ると、裏で支えている人の努力を想う様になった。

陰の声「施設にいれたほうがいいよー」
簡単に言うたらいかんぞイ。
順番待ちごっついぞー。 40人ぐらい。(まだましな方?)

影の声「コネつかったらいいやん」

さて。

使えたとしても、 自分らだけがよかったらええってわけでもないしなぁ。

ばあちゃんが介護認定4になってしもた。
5やないのよね。

陰の声「施設に入ってる時はそのほうが安く済むからいいやん」

うーん、まぁ、当たってるわなぁ。
でもそれは施設に入所出来てる間だけ。
これからはショートステイとロングステイと在宅での介護。
4だと、在宅で使えるサービスが減る。

ほんでもって、介護してる者の、気持ちがなぁ、納まらないんよね。
身体はもう、年いって、良くなることはないのになんで介護認定が、4になるわけ?ってね。

陰の声「ばあちゃんの家売って、施設に入れたらいいやん」

そんなコト、簡単に言うたらあきません、あきません。(笑)

ま。そんな考えもありやわな。

でも。ばあちゃん帰るとこなくなるぞーっ。
それをするって、寂しくないか?
ばあちゃんボケてしもてたら、それもまた一考(?)
頭ははっきり。意識もはっきり。不自由なのは、体だけ。

うーん、色んな考えあるけどなあ。どれがいいんやろね。

ごめんなぁ、えらそうに言うてるねえ。

あたりまえのことをごくごくフツウの事のようにやる、
それが一番難しいねえ。

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もしも、もしも、もしも。
 

2000 5/19


もしも。

ばあちゃんのこの家がなかったら、
ばあちゃんはどうなっていたのだろう?


もしも。

ばあちゃんのこの家がなくなったら、
ばあちゃんはどうなるのだろう?

母は最後まで、ばあこを自分たちで看たい、という。そして葬式はこの家から出してやりたい、という。もし特別 老人施設なんかに入れて、すぐに亡くなってしまったら、後悔しても後悔しきれないと


その気持ちは痛いほど分かる。でも、やりたいことと、出来る事は違う。

実家にばあこをまるごと連れて帰ったとしても、母一人でばあこを看るのはどう考えても無理だ。実家はこのばあこの家よりはるかに狭い。ほんで平屋だ。2階があるこの家のように、お互いのプライバシーを守る一線をひくのは難しい。実家はバリアフリーには出来ていないから敷居の段差だらけだし廊下も狭い。移動するのも一苦労。そして、このばあこハウスのよぅに、介護ヘルプに来た人がほっと一息ついて泊まれる部屋はない

加えて、母がばあこを引き取ってしまっても、色々な諸事情から、叔母が往復5時間強かけて介護に通 うことはもう無理になる。

今のままのサービスが全部使えたとしても(週に3回デイケア、デイサービス。一週間ごとにショートステイ)母上一人で介護する大変さはよくわかる。私がこのばあこハウスで一人毎日ばあちゃんを介護すると考えたらいいわけだから。それにプラス30年の肉体的なしんどさをを付け加えればよいのだから。これは大きい。今でもしんどいと思うのに、想像がつかない。

そして朝から晩までうちの母上のばあこに対するうるさい声を聞かされる父上のしんどさを思うと、私はひるむ。(笑)

私とばあこだとまだ孫と祖母なので思いやりの気持もある。だが、実際の親子はやさしくなんてない。皆さんきっと体験済み?生々しくぶつけ合う。お互い性格が似ているのでよけいだ。

特に母は長女のせいか厳しくって、きつい。
時々びっくりするような、怖ろしげな台詞も言っちゃったりする

介護で人間そう変わるもんではない。介護経験したからって、人格者になれるわけじゃないのだ。

母上は機嫌のいいときは、ばあこに対して猫のように優しいが、いつもは自覚していない大きな声で叫んだり、怒ったり。叱咤激励のつもりらしいが早朝から聞かされるのはたまらんぞう(愛なのだけどね。) (^。^;) (-_-;) 同様に父上がそんなのを毎日聞かされることになるとすると、ノイローゼになるかもしれんと思う。じょせいより、だんせいのほうが、繊細なのね、きっと。

たとえ話ではあるのだけれど、始終母上一人に介護されるとすると、それはばあこにとって、本当に幸せなことだろうか。在宅にこだわって、看続けるのは、そんなにいいことなのだろうか?看る方の、エゴなのかもしれない、本人にとってはいい迷惑かもしれない。

もしものことになっても、いい施設があるならば、利用すればいいのではないか、それもひとつの選択肢なのではないか。私達は特別 養護老人ホームに、変な固定観念を持ちすぎるのではないか?私は最近そう感じるようになった。

「もし、家に引き取ったとしたら、夜だけでも頼むわ」先日母が冗談で言った。私は答えた。「そうなったらもうようせん。母上一人で引き取って看たいなら一人でやり。私はもうよぅ協力せんよ。

今は3人交代でやっているから、3人3様でいいのだと思う。ばあこも、甘えたり、子供のようにおとなしくなったり、年長者の威厳を保ったり、あらゆるバリエーションで、周りと対応できる。でも、一人だけ、ましてや、うちの母だけに介護されることになるとばあこは絶対に幸せではないと思う。いくらそれが地元であってもだ。住み慣れた街であっても。

そして、当然予測されるであろう自分の母が介護の為過労で倒れる事を思うと、申し訳ないが、私はきっとばあこより母をとるだろう。
そして、私は夫と、自分達の人生を歩みはじめねばと思う。


もしも、のことは、このように妄想が膨らむものである。
しかし、シビアで生々しい。

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gunjoaen@hello.email.ne.jp

制作:(C)群青亜鉛
2002(改訂)